伝わる想い 第四十四話「必然と偶然」

Written by kio









物語は北川潤と彼女達との出会いの日まで遡る────。











目前では続々と人々が集まってきている。
特に制服姿の学生の姿を良く見ることが出来ていた。
──皆、一様に悲しみの表情を浮かべている。
改めて彼女がどれだけ人に愛されていたのか、分かったような気がする。
俺も彼女──美坂栞のことが好きだった。
ほんの数日間の付き合いでしかなかったけど、確かに栞ちゃんは俺の大切な友人の一人だった。
友人だからこそ避けては通れないこと。
友人だからこそ果たさなければならないこと。
それは確かに存在する。
──俺は今、彼女との別れの場に来ている。
ここでは否応なしに現実を突きつけられてしまって、少し悲しかった。
だが、悲しい思いをするためだけにここへ来たわけではない。
最後の別れを告げるために、彼女の最後を見届けるために俺はここに居る。
それが友人として、自分が出来ることだったから。



美坂は最初から最後まで気丈に親族としての務めを果たしていた。
大切な人が失われた日、彼女がどれだけ辛い思いをしたのか俺には想像がつかない。
だけど、どんな思いを味わっていたとしても、今そこに存在する彼女の姿は立派だと思った。
ただ、時折彼女の左手首に包帯のようなものが見えていたのが気がかりと言えば気がかりではある。
水瀬さんも気付いていたようだったが、結局それに触れることはなかった。
相沢が現れると美坂は席を外して、二人でどこかに行ってしまった。
彼女が相沢に向ける表情は少しやわらかかった。
どうやら二人は仲直りすることが出来たらしい。
正直、ほっとする。
親しい人達が仲違いしているという状況はどうにも気まずく、精神的にも気を遣ってしまう。
これで気がかりだったことが一つ無くなった。



およそ一時間の葬式に参列して、俺は美坂家を後にする。
美坂にはこの後も引き続き居てもいいようなことを言われたが、水瀬さん達と共に辞退しておいた。
流石にここからは親族のみの参加が通例だろう。
あの場に一人では居づらいという美坂の心中を察することが出来てはいたが、こればかりは仕方がない。

途中で水瀬さん達と別れ、俺は一人帰路に着く。
先ほどまでは意識していなかったがことが、途端に意識されていくような感覚があった。
それは友人達と一緒にいることで誤魔化してきたものなのだろう。
──悲しかった。
俺の感情はただそれだけだった。
棺に納められた栞ちゃんを見た時から、その感情以外は浮かんでこない。
本当に悲しかった。
彼女と過ごした日々が何度も思い出される。
彼女と交わした別れの言葉が今も頭に焼き付いている。
悲しい、この感情に偽りなんかない。
──でも、俺は泣けなかった。
俺はこんなに冷たい人間だったのだろうか?
友人の死を見ても、泣けないような冷血な人間だったのだろうか?
我慢していたわけではない。
純粋にただ泣けなかった。
隣で水瀬さん達が泣いている姿を見て、自己嫌悪を覚えた。
悲しいのに泣けない。
本当は栞ちゃんのことがどうでも良かったのだろうか?
俺は彼女を大切な友人だと思っていなかったのだろうか?
──それは違う、絶対に違う。
彼女は大切な友人の一人だった。
だが、流せなかった涙がそれを否定している。
俺は更なる自己嫌悪に陥りながら、先ほどの彼女の表情を思い出す。
それはやすらかで、どこか生前の彼女を思い出させる笑顔だった。
本当は笑顔ではなかったのかもしれないけど、俺にはそう見えた。
思い出せば、彼女はいつも笑顔だった。
姉に向ける笑顔、友に向ける笑顔、好きなことを語る時の笑顔、食事をしている時の笑顔。
俺が知っている彼女の笑顔はほんの一部にしか過ぎないだろう。
それでも、彼女の笑顔が俺達を明るく照らしてくれていたことぐらいは分かる。
彼女は太陽みたいだった。
だから、その笑顔が失われると俺達は生きていけない。
そんな風に思えてしまう。
……彼女の死はあまりにも早すぎた。

不意に気付く。
いつの間にか視界がぼやけていた。
頬に触れるとそれは涙だった。
──はぁ、今頃泣いているのか俺は。でも、良かったよ。
どうやら俺はそれほど冷たい人間ではないようだ。
少し安心した。
……そう言えば、栞ちゃんは相沢とどうなったのだろうか?
安心したらそんな疑問が浮かんできた。
我ながら野暮な疑問を浮かべたものだなと思う。



商店街を抜けて、道を横に曲がる。
このまま真っ直ぐ歩いていけば俺の家がある。
歩きなれた道。
雪が積もっている以外は、年中同じ風景を見せてくれる。
そんな光景が今日は少し違っていた。

「──おいっ! 大丈夫か!?」

雪の積もった道端の上に人が倒れていた。
すぐさま近寄って話しかけ続けるが、反応はない。
吐く息が荒い、ひと目で顔が赤いのが分かる。
額に触れてみる。
熱い。
しかも尋常ではないぐらいに熱い。

「まずいな……」

どれだけの時間、この人がここに居たのかは分からない。
ただ、体が冷え切っていることと、明らかに体温が40度近くあることからこのままほっとくと命に関わるだろう。
確かここから病院までは徒歩で二十分から三十分程度。
人を背負って運んだ場合ではその倍の時間未満と言ったところか。
だが、それでは遅すぎる。
ここは救急車を呼んで、運んでもらうのが最善だろう。
──くそっ、携帯電話を持っていればな。
悪態を吐いてみるが、無いものは仕方が無い。
辺りを見渡す。
公衆電話はない。
──落ち着け、そのぐらいいつもここを通っているんだから分かることだろう。
短くだが深呼吸をする。
今は冷静になることが先決だ。
近くに家が数件並んでいる。
しかし、今の時間帯では不在の家ばかりだ。
ここからなら、商店街に戻った方が早い。
そして、事情を話して電話を借りる。
所要時間は約五分と言ったところか。
──よしっ、そうと決まれば、急がなくては。
一瞬、この子をどうするかを思案する。
ここに置いておくべきか、それとも背負って連れて行くべきか。
考える時間も惜しい、連れて行こう。
俺は彼女を背負り、駆け足で商店街へと向かう。
いや、向かおうとした。

「──どうするつもりです。その子を」

目の前には見慣れた制服を着た、見慣れない女子生徒が立ちはだかるようにしていた。

「あっ、君、携帯電話を持っていないかい? この子を早く病院に──」

とにかく俺は急いでいた。
だから、彼女の言葉を無視してそう告げる。

「病院? 面白いことを言いますね」

違和感に気付く。
目の前に居る女子生徒は何を言っている?

「何を……」

「その子は病院なんかに行っても、良くはなりませんよ」

感情の篭もらない声だった。
だが、今の俺にはそんなことを気にしている余裕など無い。
背中に居る彼女は刻一刻と弱ってきているんだ。

「冗談なら付き合っていられない。急いでいるんだ」

俺は目の前に居る女子生徒に期待することを諦め、再び駆け出す。

「──待ってください!」

先ほどまでとは打って変わって、焦ったような口調。

「本当に病院では駄目なんです……」

俺は足を止める。
その声は必死に何かを訴えようとしていた。

「その子を、──その子を私に預けてください!」

どうすればいい?
自問してみる。
時間に余裕は無い。
だから、答えは二択。
このまま商店街まで行って救急車を呼ぶか、彼女の言葉に従うか。
振り返って、女子生徒のことを見る。
──悲痛な訴え。
──他者を優先する者の姿。
直感を信じよう。

「……分かった。君に従うよ」

「ありがとうございます。では、その子を私に──」

彼女は俺に背中を向けて、『その子』を受け渡すように促す。
しかし、それは違うだろう?

「どこに運べばいい?」

「え?」

不思議そうに俺の方に振り返る女子生徒。

「だから、この子をどこまで運べばいいのかな、って」

「……それは私がします。あなたは帰ってください」

淡々とした口調だったが、それは明確に彼女の意思を伝えている。

「そんなこと出来るはず無いだろう? 失礼だとは思うけど、君がこの子を運んでいては時間が掛かりすぎる。こういうのは力のある奴の方が向いているんだ」

「ですが──」

「いいから、早く! この子の命が懸かっているんだ!」

こんなことで言い争って、無駄な時間を消費するわけにはいかない。
今も俺の背中では死と戦っている少女が居るんだ。
──もう年の近い子の死は見たくない。
──死はあまりにも悲しすぎる。

「……分かりました。着いて来てください」

彼女は駆け足で先を進んでいく。
俺も全力でそれを追いかけた。





辿り着いた先、そこは女子生徒──天野美汐の自宅だった。






















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