伝わる想い 第四十一話「日常の裏側で」

Written by kio









「ねぇ、祐一?」

小奇麗な純和風の個室。
そこには、蒲団に体を横たえたている小柄な少女が居た。

「うん?」

彼女の傍らには、制服姿の二人の男女の姿が見て取れる。
一人は少女の質問に相槌を返している、祐一と呼ばれた青年。
もう一人は理知的な雰囲気をたずさえた女性で、目の前の二人の様子を穏やかに眺めている。

「どうして祐一は真琴のことは真琴って呼ぶのに、美汐のことは美汐ちゃんって呼ぶの?」

少女──真琴はどんな些細な事でも疑問を持てば、それを解決しようとする性質を持っていた。
言い換えれば、彼女は好奇心が強いと言えるのだろうか。
今の質問も彼女の純粋な好奇心から発生した疑問の一つである。
質問を投げかけられた祐一もその性質を知ってはいたが、彼女のその純粋さ故に戸惑うことが多い。
今も彼は虚を突かれたような表情を浮かべて、頭をひねっている。
祐一にしてみれば人の名前を呼ぶ時に、特に意識をして呼称を付けている訳ではないので、その質問に戸惑うのも当たり前と言えば当たり前であった。

それでも、彼はなんとか答えらしきものを見つける。

「……後輩だから、だよな?」

彼自身納得のいく答えではなかったのだろう、最後の方が疑問系になっている。
都合上、祐一は隣に座る少女──美汐に質問を投げかけることになった。

「私に訊ねないでください」

ぴしゃりと美汐は彼の質問を跳ね除ける。
彼女らしい態度と言えた。
祐一はその反応にやはり戸惑いながら、再び頭を捻り出す。

そんな彼らの姿も当人達にとっては見慣れたものとなっていた。
この三人が知り合ってそれほど時間は経っていないと言うのに、彼らの間には古くからの友人同士のような雰囲気が漂っている。

「……え、ええと、……後輩のことをちゃん付けするのは俺のポリシーなんだ」

彼の言葉はしどろもどろでいかにも嘘くさい。
それでも、祐一はもっともらしいことを言えたと満足しているようだった。
しかし、周りの反応は。

「祐一、変態」

「へ、変態っ!?」

思いもよらず辛らつな言葉に、祐一はなんとも言えない微妙な表情をする。

「なんだか莫迦にされているような気がします」

「あれ……?」

美汐は祐一の言葉に不満を覚えているようだった。

周りの反応が悪いことを察知した祐一はすぐさま反論をする。

「美汐ちゃんが冷たいのはいつものことだけど……真琴っ、変態っていうのはどういうことだっ!?」

ビシッと祐一が真琴に告げる。
さり気無く、美汐に対する不満を述べているのはご愛嬌だろうか。

真琴は意図してなのか、その言葉を無視して。

「美汐、ああいう男はね下心があるのよ。気をつけなさい」

真琴は一冊の少女漫画を手に取り、自信満々にそう告げる。
どうやら彼女のその知識はそこから得たらしい。
ちなみに真琴の枕元には大量の少女漫画積まれている。

「はい、気をつけましょう」

美汐が真琴の助言に答えるように強く頷いた。
女性二人の絆は固いようだった。

「いや、その……ええと、いじめですか?」

そんな彼の言を聞いてか聞かずか、真琴は唐突にポンッと手をたたく。

「あ、そうだっ! 祐一は美汐を美汐って呼べばいいのよ。そうすれば少しは祐一も変態じゃなくなるでしょう? うん、いい考え。あたしって頭いい〜」

名案だとばかりに真琴が祐一をはやし立ててくる。

「いや、俺のポリシーに反する」

適当に思いついたポリシーだったはずなのに、何故か祐一は意固地になっていた。
そんな彼の様子を見て、真琴はにやりと笑みを浮かべる。

「祐一ってば、照れてる〜。かわいい〜」

ここぞとばかりに祐一をからかう真琴。
さすがに祐一もそれにはむっとした。

「よ、呼び捨てで呼べばいいんだろ。ああ、やってやるよ!」

気合を入れるように祐一は息を吸い込む。

「み、み、み……」

たった一言、美汐と呼ぶことに、何故か祐一は戸惑っていた。

「ミミズ?」

真琴の茶々が入るが、祐一には届いていない。
それほどまでに、彼は戸惑いを覚えていた。
普段の祐一だったら、人の呼称云々でここまで戸惑うこともなかったのだろう。
しかし、今の彼には戸惑う理由が存在した。

「相沢さん、無理はしなくてもいいです」

事情を察している美汐はそう言ってくれるものの。

「いや、ここまでくれば引き下がれないさ。──み、みし……お…………」

やはり戸惑いは隠しきれなかったが、何とか祐一は美汐の名を呼ぶ。
大分その顔が赤くなっていた。

「変な祐一。美汐って呼ぶのがなんで大変なんだろう?」

ねぇ、美汐? と真琴が美汐に話をふる。

「相沢さん、なんだったら天野でもいいですから」

祐一の心中を察してか、美汐が助け舟を出す。
しかし、それを真琴はよく思わなかったらしい。

「だめーーっ! 美汐は美汐だよ。天野なんて知らない人みたいで、真琴は嫌だよ」

真琴は真琴で呼称に関して譲れないものがあった。
それは無意識のうちに彼女に芽生えていた一つの意思だった。

「……美汐ちゃん。何となく真琴の言いたいことが分かった気がするよ。……ええと、さ。美汐ちゃんが良ければで良いんだ、これからは美汐って呼んでいいかい?」

それは祐一にとって一つの覚悟であり、これからの自分の意思を表す言葉だった。

美汐は少し考える素振りを見せたが。

「……はい。相沢さんがそれで良ければ」

はっきりとそう告げていた。

これで全ては丸く収まった……ように見えた。

「ねぇねぇ、美汐」

真琴が心なしか瞳を輝かせている。
まるで新しいおもちゃを見つけた子供のようだと美汐は思った。

「……はい、何でしょう?」

何となく美汐は嫌な予感がした。

「何で美汐は祐一のことを相沢さんって呼ぶの?」

ひくっと美汐の頬が引きつった。















祐一は静かに扉を閉める。
部屋の中では真琴が穏やかな寝息をたてている。

「なぁ、美汐ちゃん」

美汐と二人きりの時、祐一は元の呼称で彼女のことを呼んでいた。

「はい」

先ほどよりも美汐の声は硬いものとなっている。
それは隣に立つ祐一も同様だった。

「真琴はいつまで生きることが出来る?」

前から聞こうとは思っていたこと。
しかし、今まで祐一が聞けなかったこと。
それを彼は覚悟を持って、訊ねている。

「……あなたは真琴が高熱を出したことを覚えていますね?」

淡々とした声で美汐は言う。

「ああ、覚えているよ。……正直、彼女は助からないと思った」

忘れるはずが無い。
この時に祐一と美汐は知り合ったのだ。

彼は思い出す。
真琴の体に起こった、人ではありえないほどの高熱を。
そして、それを真琴が乗り越えたことを。

「ええ、一度目は助かるんですよ」

「えっ……?」

あまりにも自然に彼女はそれを口にしていた。
だから、祐一は一瞬その言葉の意味に気付けなかった。
一度目は助かる、それは言い換えれば──。

覚悟はしていた。
だけど、祐一は嫌な予感に動悸を激しくしている。


──もし二度目があるとしたら。

──助からない。


「前にもお話した通り、真琴は人ではありません」

美汐と出会って間もない頃、祐一はそれを聞かされていた。
当然のように祐一はそれを疑うことなく、受け入れていることでもあった。

「ですから、人とは違うんですよ、何もかもが」

祐一は心臓の音が大きくなっていっていることを自覚した。
冬だと言うのに、汗が止まらない。

「──高熱は二度あります。そして、二度目が起きた時、真琴は……」

美汐の瞳が祐一を貫く。
それは知っている者の瞳だった。










「死にます」










終わりを導く鐘が鳴り始めた。























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