伝わる想い プロローグ・第二部

Written by kio









白い病室の中で彼女はその生涯を終えていた。
つい最近まで笑顔を浮かべ、話をしていた相手が今はもうこんなにも冷たい。
どんなに死が見慣れたものとなっても、この光景だけは目を逸らしたくなる。
しかし、それは出来ない。
彼女と言う一人の人間が精一杯生きてきた結末は最後まで見届けなくてはならない。
それが今生きているものに出来る唯一のこと。


俺はゆっくりと室内に足を踏み入れる。

室内は時が止まったかのように沈黙していた。
一人の女性は目覚めることなくベットに身を休め、もう一人の女性はその傍らでうな垂れるように椅子に座っている。

「……栞が死んだわ」

椅子に座っている女性──美坂香里は静かに口を開いた。
彼女の両拳は膝の上で真っ白になるぐらいまで握り締められている。

「……そうか」

いざ目の前で誰かが死んだと言われても実感が沸かない。
ましてやそれが親しくしていた人物ならばなおさらだ。
だが、数日前にも同じような体験をしていた俺には現実であることが分かっていた。

「──あの子、最期まで笑っていたわ。痛くて辛いはずなのに、……笑顔なんて見せれるはずなんてないのに……笑っていたの」

香里の声はあまりにも痛々しくて、泣いているような響きがあった。
いや、本当に泣いているのかもしれない。
彼女の長髪と影によって表情を窺うことは出来ないが、その顔は悲しみに彩られている、そう思えた。

「ねぇ、私は最低の姉よ。あの子が苦しんでいるときに何も出来なかった。ただ泣きながらあの子の名前を呼んでいただけ。……学校でどんなに秀才と言われていようが、こんな時に何も出来なければ、そんなのに意味なんてないっ!」

その悲痛な叫びは彼女の自嘲と後悔の表れだったのかもしれない。
香里がどれだけの無力感に苛まれているのか俺には痛いほど理解出来た。
だが、まだ彼女に言葉をかける時ではない。
今はただ、彼女の心の叫びに耳を傾けなければならない。

「──あはははっ!! 滑稽でしょう、相沢君。あなたのことを散々、虚仮にしてきた私がこんな惨めな結末を迎えるなんて。……そうね、あの時、あなたにあの子を殺してもらえばもっと幸せだったかもね」

香里はどこまでも自分を追い詰めていく人間であることは、彼女と知り合って数日もしないうちに知ることとなった。
だから、今の彼女が口にしていることは本心であって、本心でない。
本当は理解していることを無視することで、彼女は自分に傷を作ろうとしている。

「ほら、相沢君、笑ってもいいのよ。あなたにはそうする権利があるわ。──ふふふふっ、私なんて栞には不必要な存在だったのよ。本当に必要だったのはあなた。馬鹿よね、私。本当に馬鹿よね……」

それが嘘偽りのない本心ならば、俺が口出しすることは出来ない。
だが、自分を傷つけるだけのために彼女が口にしている言葉ならば止める必要はある。
香里が傷ついても誰かが得をするわけではない。
逆に他の者まで、栞まで傷ついてしまう。
栞が最後まで持ちえていた美しさを殺すことになってしまう。

「──本当にそう思っているのか?」

自分はどこまでも冷徹になれる人間だと思う。
だって、今の俺の言葉はどこまでも冷たく無機質だから。

「栞が本当におまえのことを必要ないと思っていたのか? 本当に俺に殺された方が幸せだったのか? いい加減にしろっ! おまえにだってそんなことは分かっているはずだろう」

「でっ、でも、私がいなければ、栞は、栞は──」

「自分を責めるのはそこまでにしておけ。栞の死が汚れる」

栞は本当に美しく生涯を終えたと思う。
確かに彼女は苦しんで死んでいったのかもしれない。
けれど、それ以上に自分の短い人生を精一杯に生き、死を認めたうえで最後まで生きようとした。
天寿を全うしただけならばこの領域には辿り着けないだろう。
それが可能だったのは彼女の傍に大切な人がいて、その人が絶えず彼女の力になっていたから。
だから、香里の言っていることはどれも間違っている。
彼女の言っていることは、栞の生き方を否定していることに違いない。

「栞は最期まで笑顔だったのだろう? だったらおまえは胸を張って良いんだ。香里がいたからこそ栞は笑顔でいれた。笑顔を与えていたのは間違いなく香里なんだ。──栞は感謝しているよ、大切なお姉ちゃんに」

「…………」

香里は何かを考えるように沈黙していた。
栞のこと、二人で過ごした日々、最期の瞬間、それらが彼女の中でよみがえっているのだろう。
香里の自身が冷静さを取り戻し、答えが出せるようになるのを俺は静かに待つ。

どれくらいの時間が流れただろうか、体感では数瞬にも永遠にも感じられる時間、俺達は互いに沈黙を保っていた。

「──ごめんね、栞」

かすれていて微力な声量だったが、この部屋の中でははっきりと聞き取ることが出来た。
香里はゆっくりと顔を上げ、一度栞を見つめてから、俺へと視線を向けた。
彼女の瞳には迷いがないように見える。

────頃合いだろう。

「香里」

俺は目の前にいる女性の名を改め呼ぶ。
その音の響きを自らで確認しながら、次の言葉をゆっくりと口にしていく。



















「──手紙を預かっています」




















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