伝わる想い エピローグ・第一部

Written by kio









その日、久瀬は事後処理に追われていた。
ここ最近、彼の在籍する高校では大事件と言って良いほどの出来事が多発している。
そのため生徒の代表者の集い、生徒会、そのまとめ役である彼にほとんど全ての処理が回ってきていた。
生徒会長が担う責務から大きく逸脱している役割ではあったが、この小組織の中では常識のようにまかり通っていた。
また、彼自身もそれを望んでいた。
彼の所属している高校の異常さはその生徒会にあると言っても過言ではない。
本来、生徒会とは生徒自らが行う自治活動、学校社会での生活の改善を役割とする一学校組織に過ぎない。
しかし、彼の生徒会は違う。
学校内での権力が強大すぎるのである。
それも多少の無理難題が隠蔽できるほどに。
もちろんこれには理由がある。
私立高校として長い歴史を持つこの高校は、地元の有力権力者からの多額の寄付金が維持および運営費の大半となっている。
そのため学校側はスポンサーとなっている血縁の者を無下に扱うことが出来ない。
彼らを失うことは学校組織、いや学校そのものを失うに等しいからだ。
つまり、率直に言ってしまえばスポンサーの子供を特別視しなければいけない。
教育の面で見ればこれほど間違っていることはないのだが、教職員の間では古くからの暗黙の了解として知られていた。
その影響もあってか歴代生徒会長のほとんどが多額の寄付金を納めている者達の血縁者となっている。
高校時代の生徒会長経験者と言うレッテルは地元では影響力が高いらしく、彼らはその役職だけを欲しがった。
そして、学校側はそれを叶え、信じがたいまでの権力を与えてきた。
もちろん生徒会長としての素質は問わずに。

久瀬は作業を進める手を止める。

「腐敗政治か……」

心底疲れた口調で彼は呟いた。
彼は昔からこの生徒会の行うことを腐敗政治と言って揶揄してきた。
それは自らの所属する組織に対する嫌悪の表れであったのかもしれない。
だが、と久瀬は思う。
ならば今自分の行っていることは何なのだろうか。
本来は学校の責任者が行うことを自分が行い、独占に近い形で処理をしてしまっている。
これでは自分が最も嫌った者達の行ってきたことと同じだ。
それは認めるしかない。
反面、これは自分の信じてきたものを貫いてきたことで生じた一つの過程にしか過ぎない。
だから、久瀬は後悔をしていない。
あまり後味はよくなかったが。










久瀬と言う青年は誤解されがちだが、生徒達が噂にしているほど冷酷な人間ではない。
彼にだって情はあるし、喜怒哀楽だって持ちえている。
ただ他の生徒達とは違うのは生まれが些か裕福だったと言うことと、学校と言う組織を政治の面で見据えていると言うことであった。
彼が生まれた久瀬家は地元では中堅クラスの権力者として知られている。
久瀬家の長男である彼がこの私立高校に入学したときには倉田を始め、自分よりも有力な家柄を持つ子供達が上の学年に存在していた。
倉田は例外として彼らは生徒会に所属していた。
もちろん久瀬も入学と同時に生徒会への入会が認められ、生徒会の実態と言うものを約二年間目にしている。
そして、彼がそこから導き出した結論は学校組織の根本的改革であった。
元来から久瀬は政治と言うものに並々ならない興味を抱いてきた。
それは彼が幼い頃に政治家である叔父のその真摯な姿を見てきた影響があるのだろう。
彼にとってこの生徒会は腐敗政治の巣窟にしか見えなかった。
もちろん、政治家を目指す以上奇麗事だけでは済まされない出来事があるということも知っている。
それでもなお、ここはそんな言葉で済ますのにはあまりにも行き過ぎていた。
そのため久瀬が生徒会長就任以降は久瀬家としての権力を生徒会に持ち込むことはなかった。
しかし、つい先日の川澄舞の件以降はその権力を惜しみなく使っている。
いや、使わざるを得なかったと言った方が適当だろう。
生徒会がいくら融通の利く組織であろうと限界は存在する。
先の倉田佐祐理の件は倉田家で何とかしたようだったが、川澄舞に関してはそうはいかなかった。
川澄舞は一月末日校舎内で遺体で発見されていた。
またその周囲の壁や床、備品等は彼女の所持していた西洋剣で付けられたと思われる多数の傷跡が残されていた。
そのため刑事事件として他所からの権力が学校内に持ち込まれそうになっていた。
そこで久瀬は誰よりも迅速に動き出し、全てをあやふやのものにしてしまった。
その労力は多大のものであっただろう。
しかし、どうして彼がそこまで動く必要があったのか。
多少学校側には悪影響がある出来事だったかもしれないが、彼自身が無理をしてまで隠蔽する必要はなかったはずだ。
川澄舞さえ犠牲にすれば彼に被ることは皆無なのだから。
結論から言おう。
彼は川澄舞を中心とした物語の裏側を全て知っていた。










久瀬の入学当時から学校内の窓ガラスが割られている等、器物破損事件は頻繁に起きていた。
もちろん学校側も生徒会側もそれを無視するわけにはいかなかった。
しかし、当時の生徒会はそれを追求しようと言う人材、生徒会役員として誇りを持つ人間が皆無だった。
否、新入生である久瀬を除いては。
彼は生徒会入会からまもなく深夜の学校で見回りをしていたことがある。
この学校に宿直制度はなく、器物破損の犯人を見つけるためには誰かが自ら動かなければなかったのだ。
見回りを始めて二十分も経った頃だろうか、一階廊下で彼は誰かを目撃した。
その誰かが川澄舞の可能性が高いことは事前の情報からはっきりしている。
そして、偶然にも月明かりが映した姿も彼女のものであった。
これで彼ははっきりとした証拠をつかんだことになる。
本来ならここで彼の役割は終わって、帰宅への道のりにつく。
だが、彼は動けなかった。
目の前の光景はあまりにも常識を凌駕していたのだ。
川澄舞は何かと戦っていた。
彼女は傷つき倒れ、それでも剣を振るう。
彼の目にはその何かは見えない。
それなのに彼は見えないものに戦慄を覚えた。
本能がそこに何か存在していることを確かに認めていたのだ。
そして運悪く、彼は魔物と呼ばれる不可視の現象に襲われることになる。
声を出すことも出来ず、一歩も動くことさえ出来ず、彼の人生はそこで終わるはずだった。
しかし、彼女がその事態に気づき、久瀬は傷一つ負わずに逃げ延びることが出来ていた。
その出来事は川澄舞にとっては記憶の片隅にも残らない日常の一欠けらだったが、久瀬にとってその意味は大きく違っていた。
真実を彼は誰にも告げることはなかった。
いや、告げたとしても誰も信じてくれる者はいなかったことだろう。
それ以降、久瀬は川澄舞の関わったと疑いが向けられる事件全てに手回しをしている。
久瀬自身は権力を振りかざしていたと言う自覚はなかったようだが、学校関係者はそうは捕らえなかったようで、川澄舞に対しての処分は重くとも厳重注意で済んでいた。
時は流れ、彼が生徒会長に就任してからもそれは変わることはなかった。
もちろん噂程度で川澄舞に容疑がかけられることがあったものの、最悪の処分は逃れている。
しかし、舞踏会の事件だけは大人数の目の前で起こったと言うこともあり、生徒会長として隠蔽することなく処罰を下すしかなかった。
それが上に立つものとしての行動と彼に迷いはなかった。
ただ一つの例外、相沢祐一と倉田佐祐理との出会いまでは。
彼らはあまりにも純粋だった。
久瀬が久しく忘れていた友に対する感情を思い起こさせるほどに。
彼は初めて己の感情で決断を覆した。
川澄舞復学の裏側では久瀬の尽力と相沢祐一達の集めた署名、及び倉田の名前が使用されていた。










川澄舞の死亡した日、久瀬はその場に居合わせていた。
いや、正しくは全てが終わった後、彼が現れた。
自分があくまでも第三者であることを自覚して、全てが終わることを待っていたのだろう。
校舎内はこれまで以上に損傷していた。
それほどまでに戦いが激しいものであったことをうかがわされる。
ある一室で相沢祐一が川澄舞を腕に抱いて止まっていた。
何故かその右手には白い便箋が握られている。
そこは時が止まったかのように静かだった。
祐一は頭はうな垂れて腕の中にいる川澄舞を見つめたままぴくりともしない。
久瀬は一瞬、祐一が死んでいるのではないかと言う錯覚に囚われた。
しかし、実際には祐一ではなく川澄舞がその生涯を終えていることにすぐ気がついた。
彼は彼女に始めて出会ったときからいつかはこうなることを予想していたのかもしれない。
久瀬は驚かなかった。

「終わったのですか?」

久瀬はいつもと変わらない口調で祐一に話しかけていた。

「…………ああ」

祐一の瞳には生気が欠けていた。

「そうですか。それならばここから立ち去りなさい。そろそろ用務員の人がここを訪れる時間ですから」

久瀬への返答には間があった。

「──良いのか?」
「言ったはずですよ、全ての責任は持つと。いや、君は聞いていないはずでしたね」

冗談めいた口調で久瀬は言う。
そして、すぐに口調を真面目なものへと戻す。

「行きなさい。君にはまだやることがあるのでしょう」

久瀬は祐一を長年の親友を見つめるかのように真摯なもので見つめる。
祐一は驚きを顔に浮かべたが、それも一瞬、瞳に光を戻して行動を始めていた。
彼女をゆっくりと床に寝かせて、祐一は教室から離れていく。
最後に祐一は久瀬とすれ違うところで、

「すまない、世話になる」

と最大の感謝を込めて告げた。










その後の処理は彼の計画通りに進み、今日に至る。

「──これで終わりです」

最後の書類を片付けて、彼は今日の責務を終えた。
彼が積み重ねた書類には川澄舞の名前があった。



「──やはりこの件についても彼が関わっているのでしょうね」

そこにはある種の確信が込められている。
久瀬は机最上段の引き出しから一枚の書類を取り出していた。
明日から彼が追われることとなる書類の一枚である。
もっとも川澄舞の事件よりは遥かに簡単に済むだろうが。
それでも彼にとっては同じ重さを持つ仕事であった。
もう一度久瀬は書類を見つめる。



















そこには美坂栞と言う名が記されていた。




















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