伝わる想い 第三十話「流した涙」

Written by kio









……………

……まぶし…い……


どこからか暖かな光が射しこんでくる。

───目を開けることが出来ない。

その明かりは私の顔を撫でるように注いでいる。


……ここ……は…


徐々にその明るさにも慣れ、私の瞳はゆっくりと開いた。


「……ここは………どこ……?」


ひどくか細い声が漏れる。
声が思うように出せない。
それを不思議に思いながらも身体を起こそうとする。

──けれど、身体はピクリとも動かない。

理由が分からなかった。
酷い焦りと困惑を覚える。
無理に身体を動かそうとしたせいだろうか、指先は辛うじて動かすことに成功した。
しかし、それに伴なって体中に表現し難い感覚がはしる。


「………ごほっ……」


咳が出た。
頭のどこかでこれはあまり良くない咳なのではないのか、とどこか傍観者のように考えている自分がいる。
身体がふわふわする。


「……っ……ごほっ、ごほっ……」


咳が止まらない。

──無理に身体を動かそうとしているのが悪いのだろうか?


「……ごほっ、ごほっ…」


努力のかいあってか、顔をほんのわずか右に向かせることが出来た。


「ごほっ……ごほっ、ごほっ…ごほっ」


相変わらず咳は止まらない。
あたかも私が身体を動かすことに自身で警告を促しているようにも感じられる。
それでも無理にでも身体を動かそうとする。
そして、ようやく私は周りの様子を視界に収めることに成功する。

白。

そこは全てが真っ白に染まった空間だった。


「……私は………いったい…?」


言葉を発するだけでは咳は漏れなかった。
しかし、か細い声は変わっていない。


…………

──どうして私の身体はこんなに弱っているのだろう?

ようやく当たり前の疑問に到達する。
でも、答えは出ない。
頭の中がぼやけていて、思考がうまくまとまらない。
けれど、私の思考の中に何か致命的に欠けているものがあることは感じる。
それが何かは分からない。

……今は分からないことだらけだ。

だから、出来るだけ情報を、と思い視線を巡らせる。


「……ごほっ、ごほっ………」


やはりと言うか、当たり前と言うか、身体を少し動かしだけで咳が漏れた。

そして、気付く。
私の口元に違和感があることに。

──これは何?

口元に何かがつけられていた。
それは私の口と鼻を被い、私の呼吸を助ける役割を果たしているもの。

───たぶん、これは酸素マスク。



──ッ───ッ────

微かに何かの音がする。
視覚で確認することは出来ないが私の枕もとに何かが置かれている。
酸素マスクから出ているチューブのようなものがそこに伸びている。

…………

──虚ろげながら私は自分の状況が理解出来てきた。

私はたぶん病院にいる。
その理由は思い出せないけれど、自分が重症であることは理解出来る。
さらによく自分の身体を観察すると、私の腕に何本かのチューブが繋がれていることに気付く。

──私は大切なことを忘れている。

でも、それが何だったのかは思い出せない。

──忘れてはいけないことだったような……


「──佐祐理さん」


私以外の声がこの白い空間から漏れる。
誰かが居る。
誰だろう?
とても優しい声に聞こえる。
とても懐かしい声に聞こえる。
確信がある。
私はこの人を知っている。


「……ごほっ、ごほっごほっ…」


私は無意識に身体を起こそうとしたらしいが、咳が漏れるだけでうまくはいかなかった。
私の様子に気が付いたのか、その誰かの気配が近づいてくる。
温もりが掌に伝わってくる。
誰かの手が私の右手と重なっていた。

──心が落ち着いていく。


「無理はしないでください」


私の視界には見慣れた男の人の顔。
その人は優しさに溢れた瞳で私を見つめている。


「…………ゆういち、さん…?」


自然と言葉が紡がれた。


「……はい、俺です」


───その瞬間、全ての記憶は紐を解いたかのようにあっさりとよみがえる。

目の前にいる男性のこと。
私自身のこと。
二人の関係。
昨日のこと。
私がここにいる理由。

そして、────舞のこと。


「!? まいっ! ……ごほっ…ごほっ、ごほっ……」


咳が意味も無く大袈裟に漏れ続ける。

──私はこの時やっと自分の身体を痛いと感じた。

ある程度の時間続いていた咳は徐々に落ち着き、私の呼吸は平穏を取り戻す。
その間、祐一さんは何も言わず私の右手を優しく握ってくれていた。


「……大丈夫ですか?」


私の咳が完全に収まったのを見計らって、祐一さんが訊ねてくる。
私は軽く首を動かして、それに答えた。
咳が出ると大変だから、声は出さなかった。
祐一さんは、良かった、と一言だけ呟いて視線を下に向ける。
それを区切りとして、沈黙がこの白い部屋を支配した。






…………

どれくらいの時間が流れたのだろうか。
よくは分からなかった。
ただその間、祐一さんは何かに迷っているような、何かを悲しんでいるような、そんな瞳を見せていた。
そして、祐一さんの瞳に覚悟の色のようなものが宿る。


「……舞が」


言葉の始まりはその一言だった。


「……死にました」


祐一さんは確かにそう告げていた。
けれど、私の頭は言葉の意味を理解するに至らない。

──舞が死んだ?

祐一さんは何を言っているのだろう。
ただ、そう思うだけであった。


…………

祐一さんはそれ以上何も言わなかった。
同様に私も言葉を告げようとはしない。
ただ、先ほどの言葉を頭の中で反芻していた。


──舞が、死んだ?

──誰が死んだ?

──舞。

──舞とは誰?

──川澄舞。


そして、思考は遂に辿り着く。


──舞が死んだ──


体中の力が抜けていく。
身体がばらばらになっていくような感覚を覚える。


「…うそ、……ですよね……」


この時の私の表情はどんなものだったのだろうか。
分からない。
分からないけれど、私の声と身体は冗談みたいに震えていた。


「……俺が見届けました」


あまりにも無感情な声だったため、それが祐一さんの口から漏れているものだと、一瞬理解出来なかった。
そして、それは致命的な一言であった。

嘘ですよね? ともう一度言いそうになる。
けれど、祐一さんがそのような嘘を言う人ではないことはよく理解している。
だから、それが冗談でないことは初めから分かっていた。

……分かっていた。

それでも、その事実をすぐに認めることなんて……出来ない。

──だって、舞が……まいがしんじゃったなんて……

信じたくは無かった。
信じたくは無かったが、目の前にいる男性の表情を見るだけで、信じざるを得ないと理解してしまう。

──祐一さんは涙を流してはいなかったけれど、泣いているように見えた。

自分の瞳が熱くなっていくのを感じる。


「……私の、……せい、です、ね…」


堪えきれず私の瞳からは涙がこぼれ落ちる。


「違うっ!! 佐祐理さんは悪くない」


突然の怒声。


「……でも、私が…あのとき……」


あの時、あの場所へ行かなければ。


「……佐祐理さんは悪くはないよ。……佐祐理さんのせいなんかじゃない」


うって変わって、力の無い声で祐一さんが言葉を紡いでいく。


「ただ不幸な偶然が重なっただけ。……誰も悪くはないんだ」

「でも……」


それでも、私がしてしまったことが結果として、舞を──


「佐祐理さん」


優しい祐一さんの声が私の耳に入り込んでくる。
祐一さんの瞳は様々な感情を秘めていた。
それは悲しい瞳と言えたかもしれない。
それは優しい瞳と言えたかもしれない。
それは慈愛の瞳と言えたかもしれない。
そんな感情を携えて、祐一さんは告げる。


「……手紙を預かっています」















真っ白な封筒。

それを私に手渡し、祐一さんは静かに病室を去って行った。
それが何を示すのか私には分からない。
けれど反面、心のどこかで理解をしている。
私は震える指先でその封筒に触れる。
触れるだけでその封は切られた。
中には一枚の手紙。
封筒と同じく白色。
私は無意識に上半身を起こす。
不思議なことに咳は漏れず、身体も痛くは無かった。
たどたどしい手つきで私は手紙を開いていく。
そこには、綺麗な文字で言葉が綴られていた。
それは見慣れた人の文字であった。







佐祐理へ

まずは謝らせてください。
私には今まであなたに隠していることがありました。
私はもの心ついた時から、他の人にはない不思議な力がありました。それは何もないところからハトさんを出したりする手品のような力です。ただ、手品と違ってたねはありません。そんな力を持っていたせいでしょうか、私は多くの人から蔑まれ、気味悪がられてきました。そんな環境に長い間いたせいでしょうか、いつの頃からか私自身も他者を避けるようになっていました。でも、ある日、そんな私に転機が訪れます。それは一人の男の子と出会いでした。その男の子は驚くような早さで私の心に入り込み、私に他人を信じるきっかけを与えてくれました。それは幸せな日々でした。毎日、その男の子と遊ぶことはいつしか私の生きがいとなっていました。ですが、やがて男の子との別れの日がやって来ます。私は弱かったのだと思います。必死にその男の子との別れを拒みました。その時のことは正直、無我夢中で詳しいことは覚えてはいないのですが、一つ嘘をついてしまったことははっきりと覚えています。その嘘は自分たちの遊び場に魔物が現れたというほんの些細で幼いものでした。そんな小さなものに過ぎなかったはずだったのに、私の力はそれを現実のものとしてしまいました。このときからです。私と魔物との戦いが始まったのは。私が今でも夜の学校に訪れていたのはそこに原因がありました。その男の子との遊び場はここだったんです。やがて時が流れ、気がついた時にはもう引き返せないほどに私はその嘘に囚われていました。魔物という存在が大切な人を襲うところにまで。
そして、その嘘が始まりで、あなたを傷つけてしまった。
本当はあなたを傷つけたくはなかった。あなたを巻き込みたくはなかった。
それでも、結果としてあなたを苦しめることになってしまった。
本当は私の口からあなたに謝りたいです。
でも、それも出来そうにありません。
だから、手紙で伝えます。

ごめんなさい。本当にごめんなさい。








「……舞は……悪く…ない、よ…」


心が締め付けられるように、切ない。


「あやまらないでよ……まい……」


私の知らなかった舞の過去。
こんなにも辛い思いをしてきた彼女をどうして責めることが出来るのか。
逆に舞は被害者のはずなのに。


「…謝らなくてはいけないのは……私だよ……」


私がもっと舞のことを理解出来ていたなら。
私が舞の悲しみの一欠けらだけでも背負うことが出来ていたなら。
でも、それは所詮仮定の話。
過去に起きてしまったことをもうやり直すことは出来ない。

自責の念に囚われながらも続きを読んでいく。







私は今、この手紙を書いている瞬間、あなたとの思い出を振り返っています。思えば、あなたと出会えて私は救われたのかもしれません。それ以前の私は昔のように他者を信頼せずに生きてきました。それを変えてくれたのがあなたです。
初めて二人で食べた牛丼の味は今でも忘れていません。あなたの作ってくれるお弁当はいつも美味しかったです。たこさんウィンナーは私の大好物でした。そう言えば、私はあなたのお家の大きさに驚いたことがありましたね。その夜、二人で好きな男の子についても語り合いました。あなたが私の洋服を選んでくれたこともありました。二人でテスト勉強を頑張ったときもありました。お料理をあなたに教えてもらったこともありました。
思い起こせば、あなたと過ごした3年間は私にとってかけがえのないものでした。
あなたには本当に感謝してもしきれません。
私は手紙を書くのが初めてでうまく伝えることが出来ませんが、これだけは言わせてください。

私はあなたに出会えて本当に幸せでした。……あなたが私の親友で本当に良かった。

ありがとう、佐祐理。

川澄舞









「………舞……」


舞の、親友の気持ちが私の胸に染み渡ってくる。
それは痛いほど、悲しいほど優しい手紙だった。


「……舞、まいっ、まいっ……」


舞と過ごした3年間。
それがどんなに貴重で儚いものであったか……ようやくそれを理解した。
視界がぼやけている。
先ほどから瞳から流れ出てくるものが止まらない。

私も、
私も舞の手紙に答えないと。
私は震える、か細い声で言葉を紡ぐ。


「私からもありがとう……まい」


どうか舞に私の想いが伝わりますように。















室内から佐祐理さんの泣き崩れるような音が聞こえてきた。

──俺は役目を果たした。

静かに足を進める。
病室が後ろの方で遠くなってゆく。


…………

足を止める。


「……なんで……」


か細い声が口元から漏れる。
これは俺の弱さだったのだろうか。


「……なんで……舞が……死ななくちゃ……いけないんだよ!」


今まで堪えていたものがあふれ出してくる。


「………くそっ……」


俺は傍観者であり続けなくてはならないのに。
俺は感情を持ってはいけないのに。

──なのに……どうしてっ!


「どうして、涙が止まらないんだよっ……!」


泣いてはいけないのに。
泣かないと約束したのに。


「どうして……どうして……」


──祐一、笑顔でいて──

舞の声が聞こえたような気がした。


「……っ………おれは……もう……げんかい、だよ…」


涙はもう隠しきれないだけ、こぼれ続けている。
だから、今だけは、

──今だけは弱い相沢祐一でいさせてくれ。


「……まい……」


涙がどうしようもなく溢れて、……こぼれた。




















最後に、一つだけお願いがあります。
それは祐一のことです。
あなたのことです。お気づきだとは思いますが、祐一は誰にも言えない重い何かを背負っています。きっと祐一はその重さに悩み、苦しみ、傷ついているのだと思います。それでも祐一は他の人に弱さを見せようとはしません。それは祐一が強い人間だから。だけど、人の強さには限界があります。その限界が祐一にも垣間見られる瞬間があります。
だから、お願い。祐一の力になって欲しい。あなたならきっと力になれるはずだから。もう私では力になることは出来ないから。
















川澄舞編・下 終




















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