閉鎖的な暗闇、無音に等しい静寂、清潔感を体現した薬品類の香り。
俺と舞はただの一言も声として発することなく、その病院という空間に佇んでいた。


───全てが嘘だったら良いと思った。全てが夢であったら良いと思った。


だけど、全ては現実で。泣きたくなるぐらい偽りは無かった。
医師から告げられた意識不明の言葉。昨日まであんなに元気だった人間が今は表情無く白いベットの上にいるだけ。
俺は始めその事実に何も考えることが出来なかった。
あれが放心状態と言うものなのだろうか。
悲しむ事も、涙を流す事もなくただぼんやりと椅子に座り言葉を聞き流す。俺が出来たことはそれだけだった。
───それからどの位の時間が流れたのかは分からない。
我に返った時には、俺に寄り添うように舞が座っているだけで他には誰もいなかった。


───佐祐理さんは知っていたんだ。


思考が冷静さを取り戻し、いつしか俺はそう言う結論に辿り着いていた。

もしかしたら、俺は佐祐理さんのことをどこかで見くびっていたのかもしれない。
大親友であるはずの彼女が舞の抱えている悲しみに気付いていないなど有り得るはずも無い。
否、人の心の変化に敏感な佐祐理さんのことだ、誰よりも早く気がついていたに違いない。
それを決定的とするきっかけは舞踏会だったのだろう。ほとんど赤の他人である北川でさえ、舞がなんらかの秘密を抱えている事に気がついていた。
ましてや佐祐理さんだったら、真っ先に舞の力になろうと考えるなんて分かりきっているじゃないか。

───たぶん、佐祐理さんは俺のことも気遣ってくれていたのだろう。出来るだけ自分は気付かないふりをして、俺と舞に負担をかけないようにといつも通りの自分を演じていた。だけど、彼女の不安は限界を向かえ舞と二人きりでじっくりと話せる機会をうかがった。そして、仮に自分の勘違いだったときのために俺を巻き込む事はしなかったのだろう。
彼女としてはほんの少し長い時間舞と話をして終わりにするつもりだったのかもしれない。

けれど、それは最悪のタイミングで魔物に襲われることとなった。


───おそらく、この推測は事実とそれほど相違は無いだろう。


根拠は無いが現実として有り得すぎることだ。
だが、それが真実であろうと真実でなかろうと、全てを目撃した舞には聞いておかなければならない。そうしなければ俺たちは先へと進めないような気がする。それでも、言葉はなかなか出てこない。


「…………祐一」


数時間ぶりに聞く懐かしい声。
その声には不安や悲しみなどと言う色は一切無い。あるのは決意だけだった。


「私は……決着をつける」


瞳には強い意志が宿っている。

───訊ねようと思っていた言葉の数々は消え失せる。
全ての答えは彼女の澄んだ瞳が答えてくれた。


「俺も戦うよ」


無意識に俺はそう告げていた。だが、違和感はない。そうする事が自然であることを理解していたから。

舞は一瞬戸惑ったような表情を見せたが、コクンと頷いてくれた。























伝わる想い 第二十八話「Last regret」

Written by kio









8年前、少女は一人の少年との別れを拒んだ。
少年は少女にとって初めての友達であり、心の支えだった。少年がいたからこそ、少女は幸せを感じる事が出来た。
───だから、少女は嘘をついた。小さな、本当に小さな嘘。

───まものがやってくるの

少女は少年が来てくれることを信じた。

───ごめん、ぼく行かないと

だけど、少女の想いは伝わらなくて。

───ふたりのあそび場をまもろうよ
───ごめんね

願いは叶わず、少年はどこか遠くへと去っていった。
少女は泣いた。何が悲しいのか分からなくなるくらい泣いた。
どれくらいの時が流れたのだろうか、少女の涙はいつしか枯れ果てていた。
───涙の代わりに、あの時についた小さな嘘が少女の運命を縛り始める。















そして、一年後。
少年は再び冬の町を訪れ、少女を探していた。
少年の探し人はそう苦労もなく見つかった。一年前の二人の遊び場、そこに少女はいた。

───……ゆういち?

少女は不思議そうな顔をして少年のことを見つめる。

───……ごめんね

少年の心からの謝罪。
少女はそれに何の反応をするわけでもなく少年を見つめ続けていた。

一年という時は長すぎた。
絶えず笑顔を浮かべていた少女の顔から笑みは消え、残されたのはその身に不釣合いな西洋刀。
だけど、少女はそれを悲しいとは思わず、少年も心の幼さから少女に憧れを抱いた。

少女は変わってしまったけれど、二人は幸せな再会だったと信じた。

少年と少女は毎日出会うたびに話をした。
少年は雪の見れない故郷の話。
少女は自分とまものとの戦いの話。
少女にとって少年の話は自分が忘れてしまった暖かさがあった。
少年にとって少女の話は刺激的で自分の中に眠る冒険心を駆り立てた。

そして、少年は少女と共に戦うと言ってくれた。

だけど、少年はその冬、約束を果たすことは出来なかった。

運命のいたずらか彼らの二度目の再会は7年後となる。

───少女はそれを知らず少年を再び待ち始めた。
7年と言う長い年月の中で一途に信じ続けた。
やがて、少女は大人となり、幼き日から続く自分の想いが恋であることを知った。
しかし同時に、自分の悲しい運命も知ることとなった。
決して叶わない自分の想いを一瞬でも良いから夢見たかった。
少女の想いは切なさと共に広がっていく。

そして、7年が経ち、少女は自分が輝いていることを自覚した。
少年との再会から始まった物語。
少女は夢のような幸せの中に身を置いた。




















俺はいつもの場所にいた。
数時間前まで居た病院を彷彿させてしまうかのような静寂。それがこの踊り場を支配している。
この場所はこんなに広かっただろうか。
こんなに寒かっただろうか。
二人がいないだけで言いようの無い寂しさが俺の心に広がっていく。
いかに俺にとって、舞と佐祐理さんがかけがえの無い人たちであるかを再認識させられる。
だからだろうか、何も出来ない自分がどうしようもなく情けない。
佐祐理さんを救うことが出来なかった。
舞を守ると誓ったはずなのに実現できていない。

後悔

何も出来ない自分に対する拒絶の気持ちから派生する感情。
思えば俺はいつも大切なものを失い後悔をしている。
その度に次は後悔しないように、次こそは幸せな結末を残そうと努力をする。
なのに、後悔をしない日はない。
それはもう仕方が無いことなのだろうか。どう足掻いても無駄なのだろうか。

たとえ、そうだったとしても───もう後悔はしたくない。










「相沢祐一」


舞も佐祐理さんもいないこの場所に響く男の声。


「……久瀬?」


目の前にはいつの間にか生徒会長の久瀬がいた。


「君の処分が決まった」

「………」


処分。それは当たり前のことだろう。
学校への不法侵入、夜間徘徊、器物破損、それらのことが昨日の佐祐理さんの件で明るみとなったのだ。


「何だ、その顔は。まさか昨日のことを忘れたわけではあるまい」


久瀬は俺が反応をしるさない事から、処分のことを理解していないと誤解したらしい。


「……いや、分かっている」


正直、俺は処分なんてどうでも良い。そんなことより、今を後悔しないためにはどうすれば良いかを考えなくては。


「…そうか、それなら良い」


久瀬は何か詮索するわけでもなく、言葉を続ける。


「では、相沢祐一及び川澄舞に対する処分を言い渡す」


…そうか、舞も処分を下されるのか。
それは避けたかった。だけど、さすがに今回は無理だろう。
それに自分勝手な話だがそれはそれで都合が良いと思う。
何と言うか、佐祐理さんのいない教室に舞一人でいらせるのは酷なような気がしたからだ。


「昨日に関することの全黙秘とする」

「───っ、どういうことだよ!」


予想に反する生徒会長の言葉。
これにはさすがに感情を表に出す事になった。


「…君はどうやら倉田家の影響力を甘く見ているようだね」


倉田家……そう言えば佐祐理さんの家はこの町で一番の富豪だったな。
そうなると町の至る所で影響力が大きくなるのは名実。
佐祐理さんの両親が望んだのかは分からないが、家の名前を守るためには今回の件は伏せておくのが一番と言うわけか。
もちろんそれには問題が無いわけではない。
だが、現状では最善手とも言えよう。


「どうやら合点が言ったようだね。…そう、倉田家はこの学園にとって最大のスポンサーであり、彼らが手放したくはない存在でもある。加えて、倉田家の方でも夜遊びが原因で娘の意識が不明という状況を隠しておきたいようだ」

「佐祐理さんは夜遊びなんか!」


久瀬の言葉は俺の予想とほとんど合致していた。
だが、そんなことよりも先ほどの久瀬の一言が許せなかった。


「夜に出歩く行為自体が夜遊びと言う定義だ、相沢祐一」


確かにそうかもしれない。だけど、納得は出来ない。
佐祐理さんは誰にでも優しくあんなに良い人なんだぞ。そんな誤解を生むような発言は嫌だった。


「所詮は我々とは住む次元が違うということだ」


そう言って、久瀬はその話を終わらせる。


「ところでこの処分、君としてはどうかね?」


何かを裏に含んだような久瀬な言葉。


「……処分に対してはありがたいと思っている。……だけど、納得は出来ない」


正直に自分の考えを言った。
確かに舞が処分を受けずに済む事はこちらとしては嬉しい事だ。
だが、俺たちに黙秘を強要する学校側には納得がいかない。
倉田家が関わっただけで処分は白紙に近いものとなる。
これは逆に言えば佐祐理さんが関係していなかったら、俺と舞は処分を受けるということだ。
今まで執拗に舞のことを疑っていた学校側が手のひらを返したようにおとなしくなる。
このことに不条理さを感じないはずが無い。
別に偽善者を装うつもりは無い。
それでも学校に対して疑問と言いようの無い怒りを感じてしまう。
俺たちにとっては好都合な処分だが、その感情は隠す事は出来ない。


「君は正直ですね。……これは私の推測ですが、君はおそらく今日も夜の学校に忍び込む。そうですね」

「………」

「まぁ、いいでしょう。…そうですね、今から私は独り言を言います。君は耳を塞いでいなさい」


久瀬の意図が見えない。
俺の動向を窺い、果ては今から独り言を始めると言う。一体、この生徒会長は何を考えているんだろうか。


「私は学校側の人間が大嫌いで、正直一泡吹かせたいと考えています。だから、生徒会の人間のすることは大抵大目に見ますよ。だから、たとえ今日の夜、学校に忍び込むような人間がいて、何か起きても生徒会長が何とかするでしょうね。……相沢祐一、きちんと耳を塞いでいましたか」

「……ああ、もちろんだ」


そう、もちろん耳は塞いではいないし、言葉の意味も理解する事が出来た。
久瀬がどうしてここまでしてくれるのかは分からないが、好意はありがたくもらっておく事にした。


「…そうそう、一つ誤解を解いておきましょう。倉田さんは私たち生徒会が川澄舞を目の敵にしていると思っていたようですが、実際には先の退学の件以外では生徒会は関与していませんよ」


そう言って、久瀬は去っていった。



















夜の学校。
昨日の今日と言うこともあって誰か見回りの人間でもいるかと思ったが、予想に反して誰もいなかった。
いや、一人の女性が月明かりの下、一本の西洋刀を携えて立っていた。


「よう、舞」


俺はいつものように彼女にあいさつをする。


「……よう、祐一」


そして、いつものようにあいさつを返す舞。




















こうして、全てを終わらせるための長い一夜が始まった。


































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