「よう、お二人さん」
登校中、俺は佐祐理さんと舞の後ろ姿に向かってあいさつをする。
「おはようございます、祐一さん」
「おはよう、祐一」
2人とも流石に慣れてきたのか、驚いたりはせずあいさつを返してくる。
この様子を見る限り舞の機嫌は直っているらしい。もっとも、それは今日舞を喜ばせるために行っていたことなので、全く問題はなかったが。
いつものように何気ない世間話をしながら、学校付近までやってくる。
「ところで佐祐理さん。あれはいつ、舞に渡すんですか」
俺は佐祐理さんの隣を歩きながら、ヒソヒソと彼女の耳元に話し掛ける。
「今日の放課後です。あ、祐一さん、電話番号を教えてもらえますか」
同じように佐祐理さんも俺の耳元にヒソヒソと話し掛けてくる。
そんな俺たちを見つめる舞の視線が気のせいか痛い。
「あ、はい。良いですけど──」
内心汗をだらだら流しながら、普通の声量で佐祐理さんに返答する。ちなみに佐祐理さんと話しながらも、意識は舞の方にいっていたりする。
「準備が整ったらご連絡しますよ」
電話番号を教えて欲しいというのはそう言うことらしい。
──いや、それよりも。
「……2人とも私に後ろめたいことがあるの?」
舞の冷たい視線が物凄く痛かった。その様子は端から見ると普段の彼女と全く変わらないので一層性質が悪い。
「うっ──何でもないぞ、舞」
「そ、そうだよ。何でもないよ、舞」
俺と佐祐理さんはほぼ同時にそう答える。妙に息が合っているため余計に後ろめたかった。
「……怪しい」
訝しげな舞の視線。俺と佐祐理さんは曖昧な笑みを浮かべながら目配せする。
キーンコーンカーンコーン、キーンコーンカーンコーン
一時間目の予鈴が鳴り響く。
「お、急がないと遅刻してしまうな───それじゃあ、また昼休みに」
これ幸いに俺はいつもの約束をして、舞から逃げることにした。
「はい、お待ちしています」
「……怪しい」
佐祐理さんの言葉に混じって、舞の冷たい視線が玄関に入るまで俺の背中に射さっていた。
伝わる想い 第二十七話「一月二十九日」
Written by kio
舞の機嫌が微妙だったが、いつも通りの昼食と授業を終えて放課後を迎えていた。
「佐祐理さん、俺はとりあえず家に帰ってますので」
自分の下駄箱から外靴を取り出しながら、俺は佐祐理さんに話し掛ける。
ちなみに昼休みに佐祐理さんには水瀬家の電話番号を書いた紙を渡していたので、俺がすることは彼女からの連絡を待つだけだった。
「はい。ご連絡しますので、待っていて下さいね」
そう言って、佐祐理さんは教室の方へと戻っていった。
「よし、舞。一緒に帰るか」
先ほどから疑問そうに俺と佐祐理さんのやり取りを見つめていた舞に話し掛ける。
「……佐祐理は?」
「──舞、佐祐理さんは俺たちに気を使ってくれてるんだよ」
俺は口から出任せを述べる。本当は舞の誕生日を祝う準備をするために本人に居られては困るからだと言うことは口が裂けても言えない。
「そうなの?」
「そうなの。それじゃあ、行くぞ、舞」
「(コクリ)」
無事俺は佐祐理さんと舞を離すことに成功した。
「お帰りなさい、祐一さん」
「ただいま帰りました、秋子さん」
あの後、百花屋に少し寄ってから俺と舞は朝の待ち合わせ場所でそれぞれの家路へと着いた。
それにしても、舞は喜ぶだろうな。
ふと、舞の誕生日を祝う光景を想像してしまう。
「何だか嬉しそうですね」
秋子さんがいつものように笑顔を浮かべて、話し掛けてくる。
「えっ、分かりますか」
「はい。この町に帰ってきてからで一番幸せそうな顔をしていますよ」
「あ、ははっ」
曖昧な笑顔で俺は誤魔化そうとする。どうやら俺の顔は緩みきっていたらしい。
「祐一さん、その幸せを大事にして下さいね。もう、私はあなたが悲しむ姿を見たくはありませんから」
目を瞑り諭すような口調で秋子さんは言う。
「秋子さん──」
きっとそれは秋子さんの心からの言葉だったのだろう。
あの時の俺を知っているから、秋子さんは俺のことを想ってくれる。それがどうしようもなく嬉しく、彼女に心の底から感謝した。
「ごめんなさい、変な話をしてしまって」
「いえ、胸に刻んでおきますよ」
ずっと心に刻んでいこう───俺を想ってくれる人が居る限り。
時刻は夜の9時を過ぎていた。
始めは佐祐理さんが準備に時間がかかっていて遅れているだけかと考えていたが、いくらなんでも遅すぎる。
言いようのない不安が俺の心に圧し掛かってくる。
考えてみれば、佐祐理さんはどこで舞の誕生日を祝うのかを言っていなかった。いや、その前に彼女は何故俺を家に帰したのだろうか。普通だったら2人で誕生日会の準備をしてもいいはずだ。──誕生日会!? どうして気が付かなかったのか。彼女はその単語を口にしたことはない。そもそも、彼女は誕生日会を開こうとしていたのだろうか。深く考えれば考えるほど、疑問が沸いていく。それほどまでに全てが不自然であった。
俺は何かを考えるまでもなく、上着を羽織っていた。
「名雪、ちょっと頼めるか」
居間に行き、テレビを見ていた名雪に話し掛ける。
「うん、何かな祐一」
「俺はちょっと外に行ってくるけど、その間に誰かから電話があったら学校に居ると言ってくれないか」
「うん、分かったよ」
これで佐祐理さんと行き違いになることはないだろう。
「それじゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい、祐一」
名雪の声を後ろに聞いて、俺は学校へと向かった。
いつの間にか俺は雪の中を走っていた。始めはただ歩くだけであったが、次第に早足に、仕舞いにはこのように走り出していた。
どうしてこんなに不安なんだ!
自分の心境に苛立ちを覚える。
学校が近づけば近づくほど、湧いてくる嫌なイメージ。
別れ、一人、寂しさ、悲しみ、苦しみ、痛み、そして、死。そのような断片的なイメージが俺の脳内を支配していく。
足をもっと、もっと前に進めないと。
俺は自分の全力を持って走り出していた。
───不幸にも、俺の悪い予感は外れたことがなかった。
学校の風景が俺の視界に入ってくる。
「はぁっ、はぁ、…っ…はぁ」
雪が積もるほどの低温であるというのに俺は体中汗だくになっていた。
いつものように開錠されたままの玄関から学校の中へと足を踏み入れる。
嫌な予感が消えない。いつの間にか汗は消え、鳥肌がたっているのが分かった。
「くそっ──」
悪態を吐きつつも俺はいつも夜に舞と出会う一階廊下へと足を進めていた。
月明かりの射す冷たい廊下、そこには舞の後姿があった。だが、その雰囲気はいつもの彼女のものとは違う。
言いようのない不安がまた溢れ出してくる。
「──舞っ!!」
俺は怒鳴るように彼女の名を呼ぶが、反応はない。
足を一歩、一歩前に出していく。予想以上にここに来るまでに体力を使っていたのかその歩みは重い。
そして、ようやく彼女の元へと辿り着き、初めてそれがあることに気が付いた。
「……嘘だろ……」
漏れるようにしか言葉が出なかった。舞の表情が視覚に入る。それは絶望。彼女はただ一点を見つめてそこに立っていた。
そして、その視線の先には──
「──佐祐理さん!!」
果たしてそれは現実だったのだろうか。目の前には舞の誕生日プレゼントの大きなぬいぐるみ。そして、それの下に重なるように佐祐理さんが無機質な廊下に倒れていた。
──舞踏会のときとは比べようのない大量の血。あの時みたいに誰かが身代わりになってくれているわけではない、紛れもない現実。
「──佐祐理さんっ!!」
俺はただ佐祐理さんの名前を呼ぶだけであった。
冷静さを失いつつも俺は何とか救急車を呼び、病院に佐祐理さんを運んだ。
佐祐理さんは病院に運ばれて直ぐに手術に入った。
そして、永遠とも思われる時間を俺と舞は病院の待合室で過ごしていた。
2人とも言葉はない。ただ2人にあったのは願いだけ。
やがて、佐祐理さんの両親と学校関係者が駆けつけ、俺は舞に変わって出来るだけ詳しいことを説明していった。
全ての説明が終わって、また静寂がこの場を支配する。
そして、手術は日が移り変わっても続き、数時間後、佐祐理さんは一命を取り留めた。
だが、それは本当に一命を取り留めただけのこと。
佐祐理さんは本来ならショック死してもおかしくない出血量に加えて、内臓器官が大きく傷つけられていたらしい。医師によればこの状況で一命を取り留めたのは奇跡なのだそうだ。
だが、奇跡が起こっても佐祐理さんは目を覚ましてはくれなかった。
そして、現実はあまりにも残酷な結末を用意していた。
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