「あはは、舞、上手いですよ〜」

「・・・難しい」


穏やかな日々が続いていた。


舞踏会前日の火曜日。
最近恒例になりつつある階段の踊り場での昼食会も終わり、俺は目の前の光景をぼんやりと眺めていた。いや、正しくは目を奪われていたと言ったほうが良いのか。

そこでは昨日に引き続き佐祐理さんのダンス教室が繰り広げられていた。佐祐理さんの完成され尽くした華麗な動作、舞のぎこちないながらも人を惹きつけ、彼女の名と同じ舞を見ているかのような可憐さが、俺の目を離そうとしない。

先週一杯は俺と佐祐理さんだけが踊って、結局舞は踊ることは出来なかった(舞が拗ねて踊ってくれなかったのは秘密だ)。そんなわけで目の前では先生の佐祐理さんと生徒の舞が練習を繰り広げていた。ちなみに男性役は佐祐理さんである。・・本当にこの人は何でも出来るんだな、と俺は改めて感心する。


2人の動作が次第にゆっくりになっていく。・・・フィニッシュ、互いにお辞儀をするような形で踊りは止まる

そして、一呼吸、


「はあーー、楽しかったね、舞」

「(コクン)」


さわやかな佐祐理さんの微笑みと充実した舞の笑顔がそこにはあった。

こうして、素敵な2人の上級生によるダンスパーティは幕を閉じた。



ぱちぱち、ぱちぱち



思わず俺は拍手をしてしまう。それほど、2人のダンスは素晴らしかったのだ。


「凄いよ、2人とも」

「あはは、ありがとうございます、祐一さん」

「・・・ありがとう」


何となく、2人のダンスを見ていた影響か俺も踊りたくなってきた。

昨日は佐祐理さんと踊ったから・・・


「よし、舞、一緒に踊るか」

「あ、祐一さん、駄目ですよ」

「え?」


佐祐理さんが慌てて俺の言葉に割り込んでくる。


「舞と踊るのは明日にとっておかないと」


佐祐理さんは右目をそっと閉じて、ウインクをする。


「あ、その・・・ええと」


佐祐理さんの言葉の意味を理解したことも原因だろうし、その仕草が可愛らしかったことも原因だろうが、とにかく俺はしどろもどろになっていた。

・・・どうも佐祐理さんや舞と一緒にいると自分のペースが崩される気がする。最近、2人と会うようになってからよくそう思う。



もっともそれは俺にとって心地よいものであったが。







































伝わる想い 第二十二話「前奏曲」

Written by kio









水瀬家に帰宅して早々、制服を着替えもしないで俺は自室で明日の舞踏会の準備をしていた。

ちなみに言うと、今日は舞踏会準備のため午前授業だったので日はまだ明るい。


「ええと、正装はこれで・・・ハンカチは白と・・」


先ほど、帰りがけに佐祐理さんから正装を渡されていた。

・・・なんか高そうな服だよな。目の前にある借り物の黒いタキシードを見ているとふとそんな思いが湧いてくる。もっとも俺にそういうものの価値が分かるというわけではないのだが。



コン、コン



「はい、開いてますよ」

「・・おじゃまします」


見慣れた私服姿の俺の従姉妹がよそよそしく部屋に入ってくる。


「なんだ、名雪か」


そう言えば今日は部活が休みだとか何とか言っていたような気がする。


「あ、もしかして忙しかった?」


遠慮がちに名雪は訊ねる。


「いや、別にそんなことはないぞ」

「良かった。・・あれ? 祐一、明日の舞踏会に出るんだ」


名雪の視線が借り物のタキシードのところで止まる。


「実はそうなんだ」

「でも、それどうしたの?」

「・・ああ、ある先輩から借りたんだ」


少し名雪は考える素振りを見せて、


「・・・川澄先輩と倉田先輩のこと?」

「ん、知っていたのか」


正直、名雪が2人のことを知っていることに少し驚いた。


「うん・・・今日、祐一と三人で一緒にいるところを見かけたの」

「・・・もしかして、舞と佐祐理さんって有名なのか」


一応この学校は全校生徒がかなりの数らしい数らしいので、顔見知りか学校の有名人でない限り名前を知っていることはないだろう。ましてや2人とも先輩である。


「うん、そうだね」

「知らなかった・・・」


でも、何となく驚きはしなかった。だって、舞と佐祐理さんだからな。・・・理由になっていないようで、俺の中ではきちんとなっているのが微妙なところだが。


「倉田先輩はあの倉田財閥の一人娘で、3学年の主席なんだよ」


倉田財閥。一応は名前ぐらいは聞いたことがある。詳しいことまでは分からないが、簡単に言うとこの街で一番の富豪らしい。佐祐理さんはそんな凄い家のお嬢様ということになる。


「マジか?」


そう言うことなら、普段のあの上品な雰囲気も納得できる。だから、ダンスの心得まであるんだろうな。


「それでね、川澄先輩は・・・」


言いづらそうに名雪は言葉尻を濁らす。


「どうした」

「うん、川澄先輩は・・良い意味で有名じゃないの。何て言うか、その、素行が悪い生徒で・・・」

「嘘だ」


名雪の言葉を遮って俺は呟く。意識するよりも先にそれは言葉になっていた。


「え?」


戸惑ったような名雪の声。でも、俺は構わず固く無機質な声で続ける。


「舞が何かしたのか?」

「え、ええと、・・ガラスを割ったり、動物を虐待したり・・・」


一瞬で頭に血が上る。・・・冷静に考えれば頭に血が上るなんて、今までほとんどなかったかもしれない。だけど、今はそんな冷静な判断力など消え去っている。


「誰かそれを見たっていうのか!!」


自分でも驚くぐらいの怒鳴り声。名雪の体がビクッと震える。

決して、名雪が悪いわけじゃない。けれど、自分の中に生まれつつある黒い感情が抑えられない。・・・いや、抑えるんだ。名雪がそんなうわさを広めた訳じゃない。

・・・気を落ち着かせる。

・・・・・・冷静な思考が徐々に戻ってくる。


「悪い・・」


名雪に悪いことをしてしまった。・・・全く俺はいつも、いつも人を傷つけてしまう。自分が自分で嫌いだ。


「ううん、私の配慮が足りなかったね・・・ごめんなさい」


名雪は悪くない。俺が悪いんだ。

それを口にしようとしたが、止めた。そのときのイメージとして名雪の悲しそうな顔が浮かんだ。

・・・一つ確認しなければならない。


「でも、そういう噂はあるんだよな」

「・・・うん」

「そうか・・・」


名雪の答えに嘘偽りは一切ないだろう。つまりは全てが真実。もっとも真相は偽りだらけの第三者にとっての真実に過ぎない。

舞はそんな奴じゃないんだ。ただ、感情表現が下手な普通の女の子なんだよ。何故、彼女がそんなふうに思われなければならないんだ? やり切れない思いが俺の心を過ぎる。



俺と名雪はそれきり黙ったままだった。

気まずい沈黙が俺と名雪の間に流れる。


「ねえ、祐一」


沈黙を始めに破ったのは名雪だった。彼女の表情には思いつめたような緊迫感があった。


「なんだ」


でも、俺は出来るだけ気付かないように、いつも通りに振舞う。それが自分に出来る最善の行動。


「私の気のせいかもしれないけど・・・」


やはり言いづらそうに言葉を濁らす。

少しの沈黙。

名雪にとってはそれは長く感じるほどの時間だったかもしれない。

そして、彼女は口を開く。


「もしかして香里と何かあったの」


胸に走る痛み。

だが、表情には表さない。


「・・・どうしてそう思う?」

「最近の祐一と香里を見てると何となくそう思うの」


名雪の瞳は不安の色で彩られていた。


「そうか・・・」


だけど、俺はそれ以上気の聞いた言葉は思いつかなかった。


「も、もしね、私が力に慣れるんだったら、協力するよ」


どうやら名雪は俺と香里がけんかでもしていると思っているらしい。それはある意味では正しいが、ある意味では違う。そして、俺と香里との間に何かあることは名雪には誤魔化すことは出来ないだろう。名雪は以前から気付いていたのだ。


「大丈夫だよ、・・・ちょっと香里とは意見の食い違いがあっただけで、そのうち仲直りするさ」


もちろん、そんなことは嘘だった。


「そう、なんだ・・・」


やはり、名雪も全く納得していないのだろう。


それにしても・・・そのうち仲直りする、か・・・

よくそんなことが言えるものだ。自己嫌悪の気持ちが強くなる。





・・・果たして仲直りなどありえるのだろうか。





「祐一・・・」


心配そうに名雪が見つめている。


「大丈夫だよ、俺は・・大丈夫だ」


それは名雪に言っているというよりは、むしろ自らに言い聞かせるようであった。


「・・・ごめんね、変なこと聞いて」

「別に気にしてないぞ」

「それじゃ、私、自分の部屋に戻るから」

「ああ」


感情のこもらない俺の声が部屋の中に響いた。




















「祐一、私、心配だよ・・・」


悲しげな瞳で名雪は祐一の部屋の扉を見つめていた。






























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