「あら、相沢君。奇遇ね」
「あ、ああ・・・」
あまりにも普段と変わることのない香里の様子に俺は戸惑いを覚える。
だが、やはり瞳だけは恐ろしいだけの冷たさを秘めていた。
香里はちらりと俺の隣いた舞と佐祐理さんに視線を向ける。
「へぇ、もう違う女に手を出しているのね・・・」
「・・・っ!」
その言葉に俺はなんとも言いがたい痛みを覚える。
「・・・先輩方、悪いことは言いませんから、その男には近づかないないほうが良いですよ」
「えっ?・・・どういう、ことです」
佐祐理さんの言葉に香里は微かに笑みを見せる。
だが、その中には怒り、恨み、蔑みなど様々な負の感情がこもっているのが分かる。
「そいつはね、女を泣かせては喜ぶ最低の人間なのよ。こんな奴な・・・」
バシッ
舞の平手が香里の頬を払う。
「祐一はそんなことしない」
「そうですよ、祐一さんはいい人です!」
舞と佐祐理さんは普段は見せないであろう怒りを確かに見せていた。
「・・・騙されているんですよ。・・・私は忠告はしましたよ。せいぜい裏切られないようにしてください、倉田先輩、川澄先輩」
そう言うと香里は背を向けて、去っていった。
「・・・許せない」
「許せません」
舞と佐祐理さんの気持ちは嬉しかった。だけど・・・
「良いんだ」
「・・・祐一?」
「・・・祐一さん?」
「香里の言っていた事は本当だから」
そう、全て本当のことだよ。
「嘘ですよ、祐一さんがそんなことをするはずは・・・」
「・・・悪い、佐祐理さん、舞。俺、先に帰るよ」
佐祐理さんの言葉を遮り、俺は駆け出す。
2人の優しさが辛かった。
2人には今の俺を見られたくなかった。
こんな気持ちのままで彼女たちと一緒にいることは出来なかった。
伝わる想い 第十八話「残された時間の中で」
Written by kio
水瀬家に帰ると、真っ直ぐに二階の自室へと向かった。
「お帰りなさい、祐一さん・・・どうかなされましたか?」
居間の前を通ったところで秋子さんに見つかってしまった。だが、丁度良いかもしれない。
「・・・秋子さん、俺、今日は夕食いりませんから」
秋子さんに目はあわせず、それだけを告げる。
「・・・分かりました」
秋子さんの表情は見ていないが、きっと彼女は悲しげな顔をしていることだろう。心優しい叔母のことを考えて少し心が痛んだ。
だが、俺は二階へと上がろうと・・・
「祐一さん」
「・・・はい」
秋子さんに呼び止められる。
「・・・何か悩み事があるんだったら、いつでも相談に乗りますからね」
「・・・ありがとうございます」
俺は彼女の優しさに心から感謝した。
「それと、帰ってきたらただいまですよ」
「・・・ただいま、秋子さん」
俺は今自分が出来る精一杯の笑顔を秋子さんに向ける。
彼女は何も言わず、ただ微笑んでくれた。
ベットの上に寝転び、ただ天井をぼんやりと見つめる。
考えなくてはならなかった。
美坂栞、川澄舞のことを。
俺は2人に始めて出会ったときから近い将来、彼女たちが迎える未来に気付いていた。・・・その未来は「死」。
知りたくもないことを理解していた。
「そいつはね、女を泣かせては喜ぶ最低の人間なのよ。こんな奴な・・・」
先ほどの香里の言葉が胸に圧し掛かる。
あの姉妹にに酷いことを言ったのは、お互いとの日々を過ごさせるため。永遠の別れを迎える前に思い出をつくってやるため。
・・・俺は何様のつもりだ?そんなのは俺が勝手に決めただけで、当人達の意思は全くかやの外だ。
・・・いや、本当は舞との約束を守るために俺は言ったのかもしれない。栞のことはただの口実だったのかもしれない。舞の方を優先したかったのかもしれない。自分が自分で分からなくなる。罪悪感が俺の中に巣くう。
そう、そうだよ、俺のわがままで美坂姉妹を傷つけ、舞と佐祐理さんには心配をかけている。なのに、まだ嫌われることに傷つく自分が存在していて、誰にも心配をかけたくないと思っている自分がいる。・・・最悪だよ、俺。いや、そんなことは分かっていたことじゃないか、相沢祐一。自分は人を傷つけることしか出来ない人間だろ。一体、今までどれくらいの人々を傷つけてきたのかも分からなくなっているんだろう。そんな最低の人間なんだろう。
それは認めなくてはならない。なぜならば事実だからだ。
だけど、本当は誰も傷つけたくないんだ。死なせたくないんだ。・・・守ってやりたいんだよ。自己満足に過ぎないけど、そうしたいんだ。
でも、それは今まで叶うことはなかった。そして、これからも変わることはない。
「・・・なら、俺はどうしたいんだ?」
月の映える夜、彼女は虚ろ気に輝く街を見つめていた。
「ごほっ、・・・っ・・・ごほっ」
彼女は突然咳き込み、その場に片膝をつく。
しばらく後、咳は嘘のように止んだ。
・・・口を抑えていた右手を目の前に持ってくる。真っ赤に染まった己の手が月光に照らされ、彼女の視覚は確かにその色を捉える。それはあまりにも生々しく、彼女に死を連想させた。
「・・・祐一」
そう呟く彼女の姿はあまりにも儚げで、今にも消えてなくなりそうだった。
人生の半分を過ごしてきた自室の中で、彼女は夜空の月を見上げていた。
「!!うっ・・・」
彼女は突然、胸を抑える。同時に突き刺すような痛みが体中に走る。
・・・この痛みは最近になって毎日、自分を襲うようになっていた。
痛みは止んだ。だが、日に日に苦しむ時間が長くなっている。
彼女は自分の死が目前に迫ってきていることを自覚していた。
「祐一さん・・・」
その悲しき瞳は何を映しているのだろうか。
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