「祐一さん、あなたはもしかして・・・」



祐一の記憶の中で目の前の女性と昔一度だけ会ったことのある女の子の姿が重なる。



「あの時の男の子なのではないですか?」



「・・・・」



祐一は答えない。



「祐一さん!」



佐祐理は真摯な瞳で彼を見つめていた。



「・・・そうです」



「ゆ、ゆういちさん・・・」



佐祐理の目が潤み、感情が溢れ出す。



「・・・ぅ・・・っ・・・ありがとうござい。ます」



彼女は嗚咽しながら祐一に言う。



「本当にありがとうございます」



長い間ためていた言葉を佐祐理は繰り返した。
















始まりは六年前のある日の出来事であった。



































伝わる想い 第十六話「弟の言葉と姉の涙」

Written by kio









「あれ?ここはどこだ」


体を起こして、僕は辺りを見渡す。白い壁、白い花瓶、白いベット、そこは全てが白に包まれている部屋だった。こんな部屋に見覚えなんか無い。

一体どういうことなんだ?僕は思い出そうとする。・・・あれ?思い出せない。うーん、僕は相沢祐一、小学生、長期休暇を利用して従姉妹の名雪の居る町に来たんだよな。うんうん、覚えている。それから、・・・あれ?何か靄のようなものが頭の中にあって思い出せない。どうしてなんだ?

僕はもう一度あたりを見渡す。白い部屋。・・・もしかして、


「病院?」


自分の知識とその光景が一致した。間違えなくあっていると思う。病院独特の消毒液の匂いもするし。

病院に居るということは僕、怪我でもしたのかな?体を試しに動かしてみる。・・・痛くないぞ。どうやら怪我はしていないらしい。

うーん、謎だ。

考えてみる・・・・やっぱり分からない。


とりあえず、どっかに行こう。

僕はそう決めるとベットから降りる。


「よっと」


そのベットは少し高さがあったが、難なく降りることに成功した。


ガッチャ


僕は扉を開けると、部屋を出て行った。

























「うーん、変なところに迷い込んじゃったな」


辺りは薄暗くて、不気味だった。しいて言えば、幽霊が出そうな雰囲気である。まぁ、僕は歳のわりにそう言うものには恐怖を抱かないから、全然平気だが。とりあえず、進めるだけ前へ進むことにする。

すると、薄暗い病院の廊下が目の前に広がっていた。そこにポツンと一つだけ扉がある。


「あれ?この部屋しかないのかな?」


廊下が長いのに扉は一つしかなかった。気のせいか他の部屋の扉よりも豪華に見える。


「うーん、まぁ、いっか」


ガッチャ


僕は扉を開けて、その部屋へと入っていった。

それに特に意味があったわけではないが、子供独特の好奇心がそうさせた。


入ってみると、やはりと言うか何と言うか、そこにはベットがあって、誰かが寝ていた。


「個室って奴なのかな?」


その部屋は十分な広さがあったが、ベットは一つしかない。僕が目覚めた部屋も個室のようだったが、広さが全然違った。

よくよく考えてみると、長居をするのも寝ている人に悪いと思ったので、僕はその部屋を出ようと・・・

ふと、ベットで寝ている人の顔が目に映る。

子供だった。恐らくは僕と同い年ぐらいの男の子。だが、その子はやせ細っていて、見ていて痛々しいぐらいだった。

動揺を覚える。僕ぐらいの子供が遊びもせずにただ、病院のベットで苦しそうに寝ている。そんな事実は僕の日常の中には存在しなかった。毎日元気に遊び、お母さんのご飯を一杯食べて、ぐっすりといい夢を見る。それが僕くらいの歳の子だったら当たり前だと思っていた。だけど、本当は違ったんだ。

だから、その光景が僕に与えたショックはとてつもなく大きかった。

・・・僕は無性に何かをしなければいけない気持ちになった。こう言うのは使命感と言うのだろうか?この子に何かをしてあげたい。理由はよく分からないけど、そうしてあげたい。


「ね、ねぇ、君、遊ぼうよ」


俺は無意識のうちにそう言っていた。何故か自分の声が他の人の声のように聞こえる。目線があっちこっちにいったりする。・・・僕はきっと緊張している。

ベットで苦しそうに寝ていた男の子は僕を見つめる。その瞳はとても悲しそうだった。子供がこんな顔を出来るのだろうか?僕は疑問を覚えた。だけど、現実は目の前に存在している。


「ねぇ、遊ぼうよ」


今度はうまく言えたような気がする。でも、実際に僕はその男の子と遊べるとは思っていない。・・・何をすれば良いのか分からないからそう言うだけ。僕を何か不思議な気持ちが突き動かす。


「ぉ・・・・・ん・・」

「え?」


その子は何かを言っていた。だけど、僕は聞き取れなかった。でも何かを伝えようとしていることは痛いほど伝わってくる。


・・・だって、あの子は泣いているんだもの。


「・・・・・・ん・・」


聞き取れない。だけど、理解したい。俺は耳に全神経を集中させる。


「お・え・・・ん・・」


この子は必死に言葉にしようとしている。

・・・心が熱くなる。何故なのかは分からない。分からないけど、僕は・・・


「おねえ・・・ん・・」


おねえ・・ん、おねえちゃん、そう、お姉ちゃんだ。この子が言おうとしているのは『お姉ちゃん』という言葉。きっとそうだ。


「お姉ちゃん、お姉ちゃんって言いたいんだよね?そうだよね」


その子は弱々しく首を縦に振る。その動作でさえ、酷く辛いものに見える。だけど、その子は微かに、ほんの微かにだけど、笑っていた。


「あ・・・・と・・」


またその子は何かを言おうとしている。


「あり・・・とう」


ありがとう。


「お・・え・・・・ん・・・、あ・・・・・う・・」


お姉ちゃん、ありがとう。ほとんど、言葉に出来ていないけど、僕には確かにそう聞こえた。


「お姉ちゃん、ありがとう、そうだよね?」


笑顔を浮かべて、その子は首を振る。それは笑顔には遠いけど、ほとんど頭は動かなかったけど、強い何かは伝わった。

・・・目が熱い。気がつかなかったけど、僕は知らず知らずの内に涙を流していた。まだ、生まれて十年ぐらいしか経っていない僕だけど、今が人生の中で初めて心から感動した瞬間だった。


「ごほっ、・・・っ・・・」


苦痛にその子は顔を歪める。・・・僕は気づいてしまった。この子はもうほとんど生きることは出来ないことに。それほど、衰弱していることを子供ながらに気づいてしまった。きっとこの子もそれに気付いている。

だから、この子は必死で伝えようとしている。『お姉ちゃん、ありがとう』と。

でも、僕はこの子のお姉ちゃんじゃないんだよ。・・・どうすれば良いんだろう。このままではこの子は死んでしまうかもしれない。この子のお姉ちゃんにその言葉を伝える前に。

それだけは絶対に駄目だ。そんな悲しいことは嫌だ。

・・・手紙。そうだ、手紙だ。誰かが言っていたような気がする。気持ちを伝えるのは手紙が一番良いと。誰なのかはこの際どうでも良い。そんなことよりも、手紙だ、手紙を書かなくちゃ。

ベットの横にある棚を見ると、小さなメモ帳のようなものと鉛筆が一本あった。僕は即座に鉛筆をその子の手に握らせる。でも、その子はもう鉛筆を持つ力さえなくて。だから、僕はその子の右手をとって、一緒に鉛筆を握る。僕のもう片方の手でメモ帳を支える。


「手紙を書こう、君のお姉さんに」

「・・・ごほっ・・・ごほっ・・・」


その子は咳が酷かったけど、確かに頭を縦に振ってくれた。


「お、ね、え、ちゃ、ん」


ゆっくり、ゆっくりと僕とその子は右手で一緒に文字を書いていく。その子の右手には力はほとんどこめられていなかった。だけど、その子は真剣に自分の手を見つめている。

ほんの一瞬だけど、ピクリと腕に力がこもったのが分かる。そうだよ、この子は頑張っている、手紙を書こうとしているんだ。


「あ、り、が、と、・・・・う」


最後の『う』の文字が書き終わり、手紙は完成する。それを見て、その子は今日一番の笑顔を見せる。本当の笑顔、純粋な歳相応の笑顔、それを見せて、その子はベットに身を預ける。

目を閉じていた。眠ったようだ。僕は嫌な予感に刺激されて、手をその子の口の上にかざす。良かった、息をしている。まだ生きている。

でも、その眠りが永遠になることはそう遠いことではないような気がした。


・・・そうだ、手紙を届けなくちゃ。

手紙はほとんどは僕の字だけど、書いたのは絶対にこの子だ。

僕はこの子の想いの結晶と言える手紙を持って、部屋を出る。

扉を閉めたところでその上を見上げると、家の表札みたいなものがぶら下がっていた。


『倉田一弥』


くらたかずや、たぶんそう書いてある。

早くかずやのお姉ちゃんを探さなきゃ。

























そこには一人の女の子が座っていた。病院の待合席のようなところでぽつんと一人、下を向いて座っていた。顔は見えないけど、どこか寂しそうだった。

そう言えば、ここは何で暗いのだろう?・・・そうか、今はもう夜なのだ。だから、看護婦さんとも会わないし、廊下が真っ暗なんだ。

疑問が解決したところで、僕は女の子の方へと近づいていく。

そして、女の子のすぐ前に立つ。女の子は僕が居ることに気付いていない。・・・僕は呼吸を整える。

そして、勇気を振り絞って、話し掛けた。


「あ、あの倉田さんですか?」


「・・・え?」


その女の子は僕の顔を見上げる。

・・・かずやのお姉ちゃんだ。絶対にそうだよ。どこが似ているのかと言われれば答えられないけど、2人は確かに似ていた。


「倉田さんですか?」


僕はもう一度尋ねる。それから彼女の瞳はかずやと同じぐらい悲しい瞳をしていることに気付く。


「はい・・・」


女の子は不思議そうに僕を見つめる。普通はそう思うのが当たり前なのかもしれない。見ず知らずの子供が同じぐらいの歳の子を苗字で読んでいるうえに、さんづけである。

でも、そんなことよりも僕は手紙を、かずやの手紙を届けなきゃ。

僕は彼女の目を見つめる。そして、一瞬の間の後、


「手紙を預かっています」


僕は告げた。それと同時に女の子の手に手紙を握らせる。


「・・・かずやくんと一緒に居てあげてください」


幼い僕が言う精一杯の言葉。


「え!?・・・どういうこと」


女の子は驚き顔で僕を見つめていた。だけど、僕は何も言わないでその場から立ち去る。・・・これ以上はかずやの役目だと思ったから。

























女の子は始めどうすればいいのか分からず、男の子が去った方を見つめていた。

そして、少し時間が経ち、自分の手の中にある手紙に視線を移す。

それは手紙というにはあまりに酷いものだった。ただの紙切れ、もしくはノートの切れ端、その方がピッタリとくる。

でも、それは確かに手紙だった。だって、手紙は想いが伝われば良いんだから。

女の子は静かに手紙を開く。


そこには





『おねえちゃん、ありがとう』





たった一言、そう書かれていた。


























「その一日後、一弥は死にました」


佐祐理さんはゆっくりあの日のことを語ってくれた。同時に俺もあの日のこと全てを思い出していた。


「だけど、最後の時、私も一弥も笑顔でした。それはあの手紙があったから。私たちは幸せな時間を最後の最後に過ごすことが出来ました」


俺はたった一度だけしかあったことのない、少年の笑顔を正確に思い出せた。

その笑顔は本当に輝いていた。そう、今の佐祐理さんの笑顔のように。


「・・・私は本当に駄目なお姉ちゃんでした。一弥に厳しくしすぎて、姉らしいことは一切していません。それどころか、日に日に弱っていく、一弥を見ても厳しくすることはやめませんでした。だから、今でも自分を恨みたくなることがあります。だけど、一弥はそんな私のことを許してくれました」


彼女の心には大きな後悔が消えることなく残っている。だけど、それ以上に愛すべき弟の記憶が彼女を照らしている。


「実は最後の日、私は一弥にお菓子とおもちゃをいっぱい持ってきて、二人で遊んでいました」


姉として、佐祐理さんは精一杯頑張った。だけど、それは結果として裏目に出てしまった。

それでも、そのことを決して忘れることなく彼女は今を生きている。


「お医者さんは何も言いませんでした。後で知ったことですけど、一弥はあの時、もう手遅れの状態だったそうです。だから、私の行動には目を瞑ったんでしょう」


佐祐理さんが生きるということは、一弥も生きるということ。肉体は失われてしまったけど、確かに佐祐理さんの心にも、俺の心にも一弥は生きている。


「そして、一弥が天国にいってしまう直前に確かに私は聞きました」


一弥は想いを言葉で伝えた。あの時と同じ言葉で、










「『おねえちゃん、ありがとう』と・・・」










そして、佐祐理さんは泣き崩れた。










俺は子供を慰める親のように彼女の頭をやさしく撫でる。

























6年前と同じように、泣き止むまで。



























倉田佐祐理編 終




















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