祐一はセットしていた目覚ましが鳴る数分前、自室で目を覚ました。

枕もとに手を伸ばし従姉妹から借りている目覚ましのスイッチを切る。



(気分が優れない)



全身を包む、風邪によく似た倦怠感。

恐らく肉体的には健康なのだろう。その証拠に熱は無く、食欲も僅かながらにあった。そのため、精神が疲れていることが容易に理解できた。



どうやら昨日の香里とのやり取りが予想以上に俺を参らせていたらしい。



(酷いこと、言ってしまったよな・・・)



香里の心を奥底から痛めつけるような言葉を祐一は言った。本心からではない言葉があった。何故、発してしまったのか自分でも理解できない言葉もあった。己を痛めつけるような言葉もあった。だが、一部には己の本心も含まれていたことは隠しようのない事実だった。



だから、相沢祐一は自己に対する嫌悪と美坂姉妹に対するの言いようのない罪悪感に苦しめられていた。



(それでも俺は今日も彼女たちと会わなければならない)



何故、彼はそこまでしなくてはならないのだろうか?



所詮は他人、見て見ぬふりも出来るだろう。



だが、相沢祐一には一つの決意があった。




















彼のその真意を知るものは少ない。









































伝わる想い 第七話「姉妹」

Written by kio










「よう、相沢」


「おう、北川」


教室で北川に声を掛けられる。


最近習慣になっている名雪との登校の際の早朝マラソンは今日はなく、ゆっくりと学校に登校することが出来た。


「北川くん、おはよう」

「おはよう、水瀬」


早朝マラソンをする原因となっている名雪が北川にあいさつをする。


何故か名雪は、今日は俺が起こす前に目を覚ましていた。そのため普通の登校が可能だったわけである。
だがなんと言うか、目を覚ましていた名雪に思わず驚いた俺もさることながら、自身がきちんと時間通りに目を覚ました事実に唖然としていた名雪がどこか情けなかった。


「あれ?今日も香里、お休みかな」


名雪の後ろの席には誰も座ってはいなかった。


(・・・・)


俺の感情は何も言わない。




















やがて担任による朝のホームルームが始まる。


ガラッ


それとほぼ同時に教室の扉が開き、顔色のあまり優れない様子の香里が入ってくる。


「すいません、遅れました」

「美坂か、あまり無理するなよ」


担任の声に香里はすいませんと小さく言って、自分の席へと向かっていく。


「(香里、おはよう)」

「(おはよう、名雪)」


親友2人は小声で挨拶を交わす。名雪はどこか嬉しそうだった。


そして、俺と香里の目が一瞬合わさる。・・・そこにあったのは軽蔑と怒りの瞳、だが香里は何事もなかったかのように席に着く。


(当たり前だよな・・・)


それは俺への当然の報いだった。































昼休み。


「祐一、お昼だよ。学食に行こう」


名雪がいつものように昼食に誘ってくれるが、俺は


「すまん、今日はパスだ」

「え〜」


何やら名雪は不満そうだが、俺が居ても香里と気まずくなるのは目に見えていたので断った。


「それじゃ、七瀬さん、行こうよ」

名雪は、一つ隣の机で鞄の中身を覗いている七瀬さんに声をかける。
七瀬さんはどうやら弁当を出そうとしていたところらしかった。


「あ、ごめんなさい、私も今日は・・・」

「え〜」


またもや名雪は不満そうだった。


「それじゃ、香里、北川くん、行こうか」

「分かったわ」

「よし、旧美坂チーム、出発だ」


そう言って、旧美坂チームは学食へと消えていった。





























「ふぅ」


思わずため息がもれる。少なからず俺は授業中も休み時間も香里を意識していた。そのせいか、先程まで自分でも知らず知らずのうちに精神が気負っていたらしい。


「相沢くん、大丈夫?」


いつの間にか七瀬さんが俺の傍に居た。もっとも彼女の席もそれほど遠いわけでもないのだが。


「何のことだ?」


俺は何事もないかのような口調で答える。


「・・・どこか、相沢くん無理してるわよ」


心配そうな七瀬さんのやさしさが今の俺には痛かった。


「そう見えるか」

「ええ」


本当に心配そうな顔をする七瀬さん。それでも俺は真実を言うわけにはいかないから。


「そうか」


だから、俺はそれきり黙る。彼女にこれ以上心配は掛けれない。










「相沢くん、ところでお昼はどうするの?」


沈黙に耐え切れなくなったのか七瀬さんは聞いてくる。


「うーん、購買にでも行くかな」


学食に行けないとなると、それぐらいしか選択肢はない。


「それじゃ、これあげるわ」


そう言って七瀬さんはいつの間にか持っていたピンク色の少し小さめの弁当箱を渡してくれた。


「?」


何故、彼女が俺に弁当をくれるのだろうか。


「あの時のお礼よ」

「でも・・・」


もう彼女からは心からのお礼の言葉は貰っていた。だから、そんなことまでしてもらうわけにはいかない。


「気にしないで。私が勝手にやっていることなんだし」


七瀬さんはあははと笑いながら俺の言葉を遮る。・・・なら、せっかくの好意だ、貰うことにしよう。


「・・・分かった。ありがたく頂くよ」

「あんまり味は自信ないけどね」


そう言って、七瀬さんは俺の席で自分の弁当を開き始める。
というわけで、俺は七瀬さんと一緒に昼食を食べることになった。ちなみに弁当はとても美味かった。

・・・ただ、食事中、やたらと他のクラスメートの視線が気になったのは気のせいか?



































結局、香里と俺は一言も口を聞くこともなく放課後を迎えた。


(気まずいよな)


だが、それは俺が招いたこと。自ら望んだこと。だから、どうしようもないことだった。それに


(栞を待たせておけないよな)


また学校の中庭に昨日と同じ時間から俺を待っている栞の姿を見て思う。


「祐一、放課後だよ・・・って、また?」


名雪には悪いが俺は急いで中庭へと向かっていった。




















「かおり〜、祐一、昨日も私のことを無視したんだよ。酷いと思わない」


祐一が教室から出て行ったあと、名雪は親友の香里に愚痴を聞いてもらおうとしていた。


「・・・名雪、私も帰るわ」


だが、香里はそれには答えず、鞄を持って席を立つ。その様子はどこか急いでいるようにも見えた。


「うん、分かったよ、香里、身体に気をつけてね」


「分かっているわ」


やはり香里はどこか具合が悪いように名雪には思えた。


「・・・名雪」


香里は教室の扉を開けたところで、名雪に背を向けて言う。


「なに?」


名雪は普段どおりの口調で何の疑問も持たずに答える。だが、


「相沢君、いえ、あんな奴のことなんか忘れなさい」

「え?」


だが、香里の口から出てきた言葉は普段の彼女とはあまりにイメージの離れた強い口調と内容だったので、名雪はその言葉を理解するのに多くの時間を要した。


「かおり?」


香里の姿はもう無かった。


































「祐一さん、遅いです」


中庭に来て、いきなりそんなことを言われた。


「お前が早すぎるんだ」

「そんなこと、ありません」


「それに昨日と言っていることが違わないか?」


たしか、昨日は「私も今、来たところです」「じゃあ、行こうか」だったと思う。


「そんなことを言う人は嫌いです」


お決まりの彼女のセリフだった。










「それで今日はどうする?」


とりあえず、栞に予定を聞く。


「ええと、ですね。今日は私のとっておきの場所に行きたいと思います」


栞のとっておきの場所。俺は興味が引かれた。


「それは楽しみだな」


本心から来た言葉。だから、今は香里のことは忘れて、俺は純粋に栞とのデートを楽しもうと思った。


































「ここは・・・」


目の前には七瀬さんに手紙を渡したあの噴水のある公園だった。


(偶然か?)


「ここはですね、私がよくスケッチをしにくるんですよ」


初耳だった。


「へぇー、栞は絵がうまいのか」


なんとなく彼女は手先があまり器用でなさそうに見えた。まぁ、あくまで俺の勘だが。


「いえ、実はあんまりうまくないです」


正解だったらしい。


「でも好きなんだろ?」

「はい、絵を描くのは楽しいです」

「なら、うまい下手は関係ないな」


そう、その人が好きならばそれでいいんだ。


「祐一さん、ありがとうございます」


嬉しそうに言う栞に罪悪感を感じるのは何故だろう?


「それでですね、ええと祐一さ・・・」

「栞、そいつから離れなさい」


冷たく強い口調。

栞の言葉は思いもよらぬ来訪者によって打ち消された。


「え?お姉ちゃん?」


栞は心底驚いていた。今まで自分のことを拒絶していた姉がいきなり自分の名を呼んだことに。その姉が何故かここにいることに。


そう、そこには確かに美坂香里の姿があった。


「栞、そいつはね、あなたのことを殺そうとしているのよ」


怒りに染まった声。


「な、なにを言っているんですか、お姉ちゃん」


突然のことについていけない栞。


「そいつはね、平然とあなたの死をあざわらうのよ」


(・・・・)


「自分さえ良ければそれでいいのよ」


香里の言葉は俺にとって辛辣を極めた。・・・だが、俺はそれを全て受け入れなければならない。


なぜなら、それは俺の罪だから。


「・・・お姉ちゃん、何で、何でそんなことを言うんですか?祐一さんはそんな人じゃありません。だって祐一さんは私に生きる希望を与えてくれました。私を支えてくれました。そんなことをする人じゃありません」


栞の予想以上に強い口調。そして、俺に対する強い信頼が見えた。


「そうですよね、祐一さん」


栞はすがるように俺に言葉を向ける。恐らく栞は愛すべき姉の言葉に心が揺れているのだろう。


「・・・栞」


だが、俺がこれから言うことは彼女の信頼をズタボロに引き裂くことになる。


「・・・香里の言うことは全部本当だ」


そう、偽りなんか無いんだ。


「嘘です。そんなはずはありません」


必死で否定しようとする栞。だが、俺は


「栞、お前に俺の何が分かるんだ」


「え?」


俺のいつもとは違う低い声と言葉に彼女は呆然としている。


「何を知っているというんだ?出会って、たった数日じゃないか。ああそうだよ、俺はお前を殺そうとしている。自己満足のために」


「祐一さん・・・」


悲しそうな栞の声。だが、俺の言葉は次々に発せられていく。


「お前に生きる希望を与えた?そんなのはただの一般論を言っただけだ。俺の目覚めが悪くないようにそうしただけだ」


「ゆういちさん、うそですよね」


それでも栞は俺のことを信じようとする。


「まだ分からないのか?そうだ言ってやるよ、俺はお前のことが嫌いだ。一緒に居るだけでも苦痛だ」

「そんな・・・」

「お前に泣かれるのも気分が悪いから付き合っていたらこれだ・・・やれやれ」


「あなたね、いい加減にしなさい!!」


栞を俺の口から納得させるため、今まで黙っていた香里が耐え切れず、怒鳴る。


「今まで栞を拒否していた奴に言われたくない」


香里の心の傷にわざと触れるように言う。


「・・・私は栞のことを、もう拒絶なんかしない。栞は私が守る。あなたなんかに・・・」


決意。彼女の言葉には確かにそれが感じられた。


「そうか。・・・それじゃ、もう俺はこいつの面倒を見なくても良いよな?」


呆然としている栞に一瞬、視線を向けて香里に確認する。


「だれが、あなたなんかに栞のことを」


「ふう、これで肩の荷が下りたよ。ああ、清清した」


香里の言葉を遮り、俺はさもその言葉を当然のように言う。

ゆっくりと栞に視線を向ける。


「もう、お前と会うこともないな」

「ゆ、ゆういちさん・・・」


彼女は本当に泣きそうだった。だが、泣いていないのは彼女の見せる強さからか。


俺は背を向け、公園を去ろうとする。


「うそだといってください、今いったことは全部うそですよね」


栞の懇願するような弱々しい言葉が俺に掛けられる。


「本当だよ」


振り向くことなく答える。自身の声には何の感情も無い。

そして、俺は歩き出す。


「うぅ・・・ぅ・・・」


栞の泣き崩れた音が聞こえたような気がした。




































「栞、ごめんなさい」


祐一のいなくなった公園で香里は泣き崩れている栞に向かって、心の底から謝罪する。


「私は・・・あなたが死ぬと分かった日から怖かったの」


それは己の中にあったわだかまり。


「あなたがいなくなること、あなたの笑顔が見れなくなること、全てが」


本当に妹を愛しているがゆえに覚えた恐怖。


「だから、あなたから目を背けてしまった」


自分の弱さ。それが妹を悲しませていた。


「許されることではないのは分かっているの。でも・・・」


姉は今にも泣きそうな顔で妹を見つめる。


「ごめんなさい」


深々と姉は頭を下げる。

不安、罪悪感、悲しみ、苦しみ、それが全てこの言葉に集約されていた。

それは愛すべき彼女の妹にも痛いほどに分かっていた。


「おねえちゃんっ!」


妹は姉に強く抱きつく。そして、姉はやさしく妹を包み込む。


「栞」




















姉妹はようやく絆を取り戻すことが出来た。


































(辛いな)


嫌われるのは慣れていた。慣れていたはずなのに


(辛い)


俺はいつも表面だけは強そうなふりをする。こんなにも心は弱いのに。

だけど、そうして俺は今まで生きてきた。それはこれからも変わらないだろう。


「相沢くん!?どうしたの」


気がつくとそこには何故か七瀬さんがいた。どうやら彼女はあの公園へ向かっているところだったらしい。

それにしても、


(そんなに酷い顔してるのかな、俺は)


残念ながら近くに鏡はないので自分では確認できない。


「何でもないよ」


俺は平然を装ってそう言うが、どうやら演技しきれていないことが自分でも分かる。


「何でもないはず無いでしょう」


やはり彼女にも分かってしまったらしい。俺の下手な演技が。


「いや、気にしないでくれ」


それでも俺はその演技を止めない。止めるわけには行かない。





















ふわっ

























七瀬さんがやさしく俺を抱きしめる。


「っ、な、七瀬さん?」


突然の彼女の行動に俺は激しく動揺した。


























「相沢くん、誰にだって辛いときはあるわ」




















母親が子供を言い聞かせるかのようにやさしい七瀬さんの声。




















「だからね」

























彼女の温もりが心地よかった。


























「辛いときには泣いてもいいのよ」




















やさしい言葉が俺の心に染みこんでくる。




















「・・・くっ・・・ぅ、・・ぅ」




















嗚咽が漏れる。




















そして、俺は




















七瀬さんの胸の中で




















声をあげて



















泣いた。

























「うわぁあぁぁ──っ」

















































美坂栞編 終










































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