栞が死ぬ。


だから私は栞の存在を拒否した。


そうすることで私を保てるから。


でも、


『美坂栞を殺す』


彼は確かにそう言った。


いつの間にか栞の傍にいて、栞の心を支えてくれていた転校生。栞に笑顔を与えてくれた親友の従姉妹。


本来私がいるべき場所に彼は居た。


言葉に出来ない焦燥感が私を包む。


私に妹はいないはずなのに私は今、『栞』の存在を認めている。


そんな矛盾した感情が私を攻め立てる。


(どうすればいいの)







分からない







分からない







分からない







分からない









































伝わる想い 第六話「それぞれの苦悩」

Written by kio










香里が今日欠席した。

理由は風邪だそうだ・・・が、間違いなく昨日の俺の言葉が原因だろう。


(栞を殺す・・・か)


自分の発した言葉に胸が痛む。その言葉が香里を傷つけた。だが、あれは偽りのない俺の本心でもあった。











































昼休み、教室の窓から中庭を覗くとそこには誰もいなかった。


栞はきちんと約束を守ってくれているようだった。と言うわけで数日ぶりに名雪たちと昼食を食べることになった。もっとも、美坂香里が不在の「美坂チーム」なのではあるが。





















久しぶりの食堂での昼食。そこは以前来たときと同じように混んでいたが、名雪と北川は慣れたものですぐに席を見つけ、俺も無事食事につくことが出来た。ちなみに七瀬さんは今日は弁当なので教室で他の友達と食べている。


「香里が休むなんて珍しいよね」


名雪が箸を休め言う。


「そう言えば、美坂が休むなんて珍しいな」


「そうなのか?」


名雪と北川の言葉を受け、俺は尋ねる。


「そうだよ、香里はめったなことでは休まないよ〜」


名雪はいつものAランチを食べるのを一時中断して答えている。その様子は心なしか寂しそうに見えたが、やはり視線はイチゴのムースにいっている。


「・・・よし、今日は美坂のお見舞いにでも行かないか」


北川が突然、思い立ったように言う。だが・・・


「うん、私も行くよ」


名雪も北川に同意をする。だがそれだけは止めて欲しかった。


「いや、かえって迷惑になるかもしれないぞ。それに明日には元気になって学校にくるかもしれないし」


俺は香里の本当の欠席理由は伏せて、当り障りのない言葉で2人に見舞いを止めるよう促す。


2人は少しの思考の後、


「そうだな」


「うん、そうだよね」


と言って納得してくれた。


(最悪な奴だ・・よな)


こんなとき本当に自身に嫌悪感を覚える。全て非があるのは俺なのに、友人に嘘をついてそれをごまかす。事情を知っているのに平然を装い、ここで昼食をとっている。今の自分の行動を一つ一つ思う度にその気持ちが強くなる。


だが、今の香里には考える時間が必要なことも確かであった。そうしないと、彼女は一生後悔することになる、自分の決断に。だから俺は自分から道化の仮面を被り、時を待つ。2人きりの姉妹のために。


(でも、最悪な奴だよ、俺)


それは誰に言った言葉だったのだろうか。









































「祐一、放課後だよ・・って、あれ?」


名雪には悪いが俺は無視を決め込んで、教室を出て行く。


(栞をこれ以上待たせて置けない)


栞とは放課後に会う約束だったが、彼女は六時間目が始まる頃に中庭に現れて俺を待っていた。


(ああいう奴なんだよな、栞は)









































「待たせたな」


「いいえ、私も今来たばかりです」


嘘なことはもちろん分かっていた。


「嘘だろ?」


「そんなことありません」


いや、でもな


「でも、六時間目が始まる頃からここに居ただろ」


俺の言葉に栞はピクリと反応する。


「・・・祐一さん、こういうときは話の流れに任せないといけませんよ」


諭すように言う栞の口調が何故か俺には少し怒っているように聞こえた。


「ドラマではですね『私も今来たばかりです』と言ったら、『それじゃあ、行こうか』と言ってお互いの腕を組むんです。分かりましたか」


彼女はどうやら妙なこだわりを持っているらしい。


「それにそのほうが恋人らしいです」


少し赤くなって彼女は言う。


「・・・・ソレジャア、イコウカ」


そう言って、俺は彼女の腕を自分の腕に絡ませる。少し緊張した。


「どうして片言なんですか」


「気のせいだ」


「そんなことを言う人嫌いです」


でも、満更でもない顔をして栞は言う。


なんだかんだで栞とのデート(?)は始まった。









































電子音の鳴り響く建物の前に俺と栞はいた。


「祐一さん、あれは何ですか?」


目の前にはピコピコハンマーといくつか穴のあいた箱が設置されている。


「あれはモグラ叩きだ」


そう、俺たちはゲームセンターの前に居た。ちなみにここに来る途中に栞にアイスをねだられ、凍えるような思いをしたので実は早く建物の中に入りたかったんだが。


『祐一さんも一緒に食べましょう』


そんな言葉で俺はまたこの真冬にアイスを食べることになった。我ながらチャレンジャーだ、と思う。

それ以前にこんな時期に路上で平然とアイスなんか売らないでほしいものだ。俺は言葉に出来ない怒りをアイス屋の主人に感じた。







「もぐらさんですか」


「ん、栞、お前ゲームセンターに来たことはないのか」


「はい」


少し寂しげに栞は言う。・・・それならば


「そうか、じゃ、俺が教えてやる」


と俺は意気揚揚に言った。







・・・・

・・・・・

・・・・・・

数分後







「あの穴から出てくるもぐらさんをこれで叩けばいいんですね」


赤いピコピコハンマーを持ちながら栞が言う。何故か妙に似合っている。


「おう、やつらは意外と素早いから頑張れよ」


「はいっ、分かりました」


栞の目はかなり真剣である。


レディ、


ゴー


ゲームがスタートした。


「えいっ」


栞のピコピコハンマーから繰り出される一撃はあまりにも・・・


遅かった。


なんと言うか凄いの一言。次のもぐらが姿を現した瞬間に前のもぐらが居た場所を叩いているのである。しかもタイミングが1テンポずれてもぐらと恐ろしいまでにシンクロしていた。こんな芸当、ある意味誰にも出来ない。







そして、終局。


「はぁ、はぁ、ふぅ」


栞は肩で息をしていた。それほど彼女は真剣だったようだ。


「祐一さん、私頑張りましたよね、精一杯やりましたよね」


ある意味誤解が生じそうな言葉を栞が言う。


「ああ、頑張ったよ、お前は頑張った」


「ありがとうございます、祐一さん」


「でもな、栞」


「はい」



俺は告げる。


「0点はさすがにないだろ」


本気でやって、モグラ叩きで0点を出した奴をこのとき始めた俺は見た。


「そんなこと言う人嫌いです」


彼女は拗ねていた。









































冬は日が暮れるのが早い。だから俺と栞の今日の楽しい一時も終わりを迎えようとしていた。


「祐一さん、今日は本当に楽しかったです」


「そうか」


俺も楽しかったよ。


「でも、本当は祐一さんと出会ってから毎日が楽しくてたまりません」


満面の笑顔、俺はそれだけで満足だった。


「それでは、また明日、お会いしましょう」


「ああ」


明日、か・・・









































水瀬家で夕食を終え、居間で名雪と真琴と一緒にテレビを見てくつろいでいると


「祐一さん、香里ちゃんからお電話です」


という秋子さんの声がした。


「分かりました」


香里からの電話、俺はそれに緊張を覚えた。今日、学校を休んだから明日の時間割を教えてくれとかそういう話ではないことは確かである。


そもそもそんな内容だったら俺ではなく親友の名雪の方が適当だろう。


「はい、代わりました」


受話器を秋子さんから受け取る。


「・・・・」


香里からの応答はない。だが、俺から話し掛けることもできない。


少しの間。俺にとっては十分に長い間。


「相沢君、学校で待っています」


たった一言を香里は告げ、電話は切られた。







「祐一、香里何だって」


香里のことを心配していた名雪が居間から話し掛けてくる。


「いや、何でもないよ」


平然を装い俺は言う。このことだけは名雪を巻き込むわけにはいかないからな。







俺は二階の自室に行って、外出の準備を済ませ一階へともどる。

「秋子さん、少し外出してきます」


「・・・祐一さん、頑張ってください」


秋子さんはいつもの笑顔で微笑んでいた。


(敵わないな、この人には)


恐らくは俺と香里の間に何かあることを秋子さんは感じているのだろう。その上で何も俺に聞いてこない叔母に心から感謝した。


「それじゃ、行ってきます」


「はい、いってらっしゃい」


俺は冬空の下、学校へと向かっていった。


月はおぼろげに姿を見せ、辺りは微かに明るかった。









































学校の中庭に彼女はいた。こうして、遠目から見ればどことなく栞に似ているような気がした。


・・・やはり彼女たちは姉妹だ。


俺は香里のもとへ近づいていく。彼女の顔は影になっていて表情を探ることは出来ない。


「よう、香里」


俺はあえていつも通りを装った。


「・・・・」


だが、香里は答えない。







どれだけの間、沈黙が続いただろうか。俺は彼女が話し出すのを待っていた。


そして、


「相沢君、あの子は何のために生まれてきたの」


その声は涙が混じり、苦しいまでに悲しい響きを持っていた。


「あの子の人生はまだ、始まったばかりなのよ。まだまだこれから楽しいことなんていっぱいあるはずなのに・・・」


彼女の今まで胸につかえていた、何かが言葉となって紡がれる。


「それなのに、何でもうすぐ死んでしまうの」


疑問、絶対に納得のいかない答えに対する疑問。


「誰がそんなことを決めたの」


「その日はあの子の誕生日なのよ」


誕生日、どんな偶然なのか栞はその日に間違いなく死ぬ。


「奇跡が起こらない限り、直らない病気?何なのよそれは」


その声には不条理なものに対する怒りが込められていた。


「ねぇ、相沢君、私にはもう何も分からないの。自分が何をすればいいのか、自分が何をしているのか。教えてよ、教えて、私はどうすればいいの」


懇願、彼女の声は小さくしずんでいく。


そして、彼女は遂に泣き崩れた。本当に心の底から泣いていた。自分自身に苦しんでいた。どうすればいいのか分からず、ただ悩んでいた。

俺にはそれが痛いほどよく分かっていた。だけど、彼女をやさしく包むことは俺には出来ない。出来ない理由がある。


だから、俺は彼女に残酷な言葉を投げかける。


「そんなことは自分で探せ」


自分でも驚くほど冷徹な口調。


涙を流したまま、香里は俺の顔を見上げる。


「散々、栞を拒絶していたんだ、いい薬だろ」


言葉を発するたびに胸が痛む。


「お前は栞を拒絶していた。それなのに、虫が良すぎないか」


彼女の瞳が虚ろに歪む。


「それに前にも言ったが俺は栞を殺す。だからお前は何も悩む必要はないんじゃないか。どうせすぐ、あいつは居なくなる」


自身が言った言葉を否定するようなことを俺は今言っている。


「死ぬんだよ、あいつは」


「だから、出来るなら苦痛で逝くよりも楽に逝かせてやりたい」


「それで十分だろ、それでお前も俺も満足出来るだろ」


パンッ


香里の右手が俺の頬を払った。頬が微かに熱をもつ。彼女は涙を流し、顔を怒りに歪めていた。


「ふざけないでよ、あなたが栞の何だって言うの。殺す?何様のつもりよ。誰がそれを望んだって言うの。そんなのあなたの自己満足にしか過ぎないわ。栞はね、栞はあなたのことを信頼しているのよ、なのに何でそんなことを言うの」


「信頼?それは彼女が勝手にしていることだ、俺には関係ない。それにそんなことをお前に言われる筋合いもないはずだ」


・・・この場から逃げ出したい衝動に駆られる。でもそれは出来ない。


「・・・そうね、私は栞を拒絶していたわ。だからその罪は消えない。だけど、あなたにだけは私の大切な妹の傍に居させない。絶対にそれだけは出来ない。それが今、やっと分かったわ」


強い、決意に満ちた口調で香里は言う。


「勝手にしろ、だが俺はあいつを殺す。それだけは変わらない」


殺す、そんな言葉は俺の口からもう発したくはなかった。


香里はもう涙は流していない。ただ、俺に対する怒りだけがそこにあった。


「あなたに栞は殺させない」


「どうするつもりだ?」


「栞はあたしが守る。絶対にあなたになんか殺させはしない」


香里の決意。それはゆるぎないものだった。


「・・・話はそれだけか。いい加減、ここに居るのも寒いからな、帰ってもいいか?」


香里はただ鋭い視線を俺に向ける。


「それじゃあな」


俺はそれだけを言って学校の中庭から出て行く。









































学校と水瀬家を挟んだ、誰も居ない道。そこには夜の暗闇と微かな月明かりしか存在していなかった。


「ほんと、最悪だよ、俺」


相沢祐一は誰にでもなくただそれだけを呟き、黒空と霞む月を見上げていた。









































ただ、涙がこぼれないように・・・









































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