伝わる想い プロローグ

Written by kio










日が沈み、空が徐々に夜の色を持ち始める。
口からは白い息が洩れている。
ここ数日は出来るだけ厚着を心がけないと風邪をひいてしまいそうなぐらいに寒い。
──もうすっかり季節は冬である。
そんな日の夕暮れ、私は一人の友人と共に下校の道のりをゆっくりと進んでいる。
隣を歩く男子生徒の姿をちらりと見る。
ぶっきらぼうな横顔。
いつもは意地悪で私にちょっかいばかり出してくるくせに、今は何にも興味がないような表情をしている。
でも、それはたぶん照れ隠し。
本来彼はやさしいのにどういうわけかそれを巧妙に隠そうとする。
やっぱり男の子はそういうのが恥ずかしいのだろうか?
分からない。
分からないけど、今はバレバレだよ。
だって、私の歩調に合わせて歩いてくれているでしょう。
些細な、ほんの些細なことだけど、それがどうしようもなく嬉しくて私は微かに笑みを漏らした。
──だけど、その笑みも一瞬で消えてしまう。
私は彼に伝えなければならないことがある。
そのために今日は下校を共にしたのだ。

用意していた言葉を私は口にしようとする。
…………。
出来ない。
きっと私は恐れているのだと思う。

「なんだ七瀬、変な顔をして。腹でも痛いのか?」

デリカシーの欠片もない彼の言葉。

「ち、違うわよ!! …そうじゃなくて」

いつもの調子で声を上げてはみたものの、尻すぼまりになってしまう。
彼の言葉には優しさが滲んでいる。
少し不器用だけど、今はそんな彼の言葉がどこまでも私に心地よい。
彼──折原浩平は私と同じ高校、同じ学年、同じクラスの男子生徒だった。
もっともそうなったのはほんの数ヶ月前の話ではあるのだが。
折原は一見するとどこにでも居そうな平凡な男子生徒に見える。
でも、その実、クラスの中心的人物で何かあるごとに彼が絡んでいると言われてしまうほどだ。
要するに教師のブラックリストに載るような奴なのである。
それはそれで困り者だが、クラスメイトを始め他の生徒からの受けは非常に良い。
まぁ、楽しい奴なのは私も認めている。
あと、ごく親しい人しか知らないことだが、彼は本当に困ったときには頼りになる。
いつからだろう、そんな彼に惹かれ始めたのは。
きっと、私が折原のことをただのクラスメイトからごく親しい人と認識したときからその想いは生まれていたのだろう。

──彼は私の一番好きな人だった。


「実はね、私……転校することになったの」

好きだから伝えないわけにはいかない。
何も言わずにさよならは嫌だ。

私の言葉に折原は歩きを止める。
そして、一瞬の間。

「……マジか」

彼はようやくそう呟いた。

「──うん」

どうしてこんなに切ないのだろう。
私は今すぐにでも折原に自分の秘めた想いを伝えたくなる。
でも、それは出来ない。
別れゆく自分がそんな無責任なことは出来ない。
それに折原にはもっと相応しい人がいる──。

「こっちに転校してきてそんなに経ってないだろう」

「うん」

そう、私がこっちの学校に来てからまだ数ヶ月も経っていなかった。
だから、始めの頃は理想の自分を演じていた。
それが自分を変える良い機会だと思ったから。
決して今までの自分が嫌いだったわけではない。
ただ、変わってみたかっただけ。
きっかけは多少あったけど、自分の理想を夢見ていた。
でも、折原はそんな私の気持ちとは無関係に心の中に入り込んできた。
今考えてみると、私は彼のことが最初は嫌いだったのかもしれない。
時は流れ、日が経つことで私の心境は結局、それとは反対方向に落ち着いてしまったのだが。
でも、そんな気持ちともお別れをしなければならない。
親の転勤──そんなありふれた理由で私はまた転校をする。

「…そうか、それでいつまでこっちに居られるんだ」

「今月の27日まで…」

折原の感情は見えない。
だけど、彼が私と同じ感情を抱いてくれていれば良いな、と思った。
それは私の勝手な願いだったけど、12月27日の別れの日までの一週間だけで良いからそう思っていたかった。

「よし、今年のクリスマスは七瀬のお別れ会に決定だな。そうと決まれば長森たちにも──」

折原の普段と変わらない口調と表情。
どうしてそういう風にへらへら笑っていられるの?
願いはやっぱり願いだったのだろうか。
私は折原と付き合っているわけではない。
それは分かっている。
だけど、少し悲しくなった。
……ううん、すごく悲しくなった。

「そんな顔するなよ」

「え?」

折原のあまり聞くことの出来ない真面目な口調。

「お前は笑っている方がいい。絶対にいい。その方が乙女に見えるぞ」

私の顔は一瞬で赤くなる。
乙女、それが私の理想。
だけど、叶ってはいない。
それを一番私のことを乙女と見ていないと思っていた彼に言われてしまった。
頭が混乱する。
頬が熱い。
でも、……なんだかすごく嬉しい。

「まぁ、お前の考えている乙女がどんなものかは知らないけどな」

そう言って折原は私に微笑んでくれた。
私は今ゆでだこよりも赤くなっていると思う。

彼は誰よりも優しい人、私はそれを知っている。
だから、こんなにも愛しいのだ。






























いつも見慣れているはずの商店街は今やクリスマスムード一色となっていた。
クリスマスパーティ兼私のお別れパーティを前日に控えた今日、私は折原と一緒にその準備のための買出しに来ていた。
私はいつも通り髪をツインテールにして、この学校の学生とは違う前の学校の制服を着ている。
黒髪のツインテールとその制服姿は自分でもよく似合っていると思う。
密かな私のお気に入りだった。
折原もいつもの制服と代わり映えのしない姿である。
ただ、それに加えて今日はいつもよりも幾分寒いので2人とも首元にマフラーを巻いていた(残念ながら色違い)。

「明日はホワイトクリスマスかな」

疑問の言葉と共に真っ白な吐息が洩れる。
折原は少し考える素振りを見せてから一言、そうかもな、と呟いた。
やっぱり、私はホワイトクリスマスに憧れてしまう。
聖なる夜に降る純白の雪。
この町ではまだ雪は降っていないけど、それはきっと、すごく綺麗なんだろうなぁ。
ふと、頭の中に折原と二人きりのクリスマスの光景が浮かぶ。
ぼっ、と顔が火照っているのが分かる。
なっ、なに考えているんだろう、私。
こっそりと隣を歩く折原の姿を確認する。
……良かった、気づかれてない。
でも、二人きりのクリスマスかぁ……素敵かも。

「ねぇ、折原」

「なんだ」

すこしぶっきらぼうな口調の折原。
でも、それが何故か寂しそうな色を含んでいるように感じる。
折原も私と別れることが寂しいのかな、なんて思って私はすこし笑った。

「ええとね、私が違う町に行っても私たち友達だよね」

私たちは恋人ではない。
だけど、最高の友達であることは間違いない。
本当はそこで終わりたくはないけどね。
折原はピタリと歩みを止めて、私の方に向き直る。
彼の私を見つめるその瞳があまりにも澄んでいて、私はドキドキした。

「……なに当たり前のことを言ってるんだ」

折原は私の言葉がさも不思議だ、と言うようにそう告げた。
それが本当に当たり前であるかのように。
私にはその言葉だけでもう十分だった。
それだけで私は何だか幸せになれた。
恋人じゃなくても私は折原と友達でいられる。
こんなありふれた日常を彼とまだ過ごすことが出来る。

「そうだね、当たり前のことだよね。──折原、早いところ買い物を済ませて帰ろっか」
「早く帰って温まりたいぞ、俺は」

折原は身体をぶるぶると震えさせる。
それが少しわざとらしくて、つい笑ってしまう。

「あはは、折原の軟弱もの〜」
「……ほっといてくれ」

そう言って、肩をすくめる折原が少し可愛い。



買い物が終わり、私は折原と共にクリスマスパーティの会場である折原の家へと向かっていた。
ちなみに私も折原も両手いっぱいの荷物である。
正直重い。

──ギッ───ギュ──

微かに変な音が聞こえた。
急速に音が大きくなっている。
いつしかそれは耳を劈くような不快な音へと変貌を遂げていた。

そして、私はその音源の方へと視線を向けた。

「えっ?」

歩道にいる私のもとへ車が向かってくる。
走り方がおかしい?
横向きに走ってる?
突然の出来事に、私は正しい認識出来ていなかった。

(何?)

私の目の前へと近づいてくる一台の車。
ブレーキが利かないのかその速度は緩まることを知らない。
何?
何が起きているの?
私はどうすれば良いの?
えっ、私は……?
どうなるの?

「七瀬!!」

折原の声が聞こえたような気がした。
それからのことが何故か私の目にはあまりにもスローモーションに見えた。
私のことを力いっぱいに押し飛ばす誰か。
車は空しいブレーキの音を鳴らしながらもその勢いは止まらない。
衝撃。
視界がぶれる。
私の身体は地面へと叩きつけられていた。
そして、視線を押し飛ばされてきた方向へと向ける。
ドンッ、と言う何かと何かがぶつかり合うような鈍い音が聞こえた。
赤い何かが地面にこびり付いた。
地面に誰かが叩きつけられた。
車が止まった。
目の前が真っ暗になった。
今起こったことの順番が分からなくなっていた。
──時間はもとの早さを取り戻す。

「おっ、おり、はら?」

舌がのどに引っ付いているような感覚で声がうまく発声出来ない。
辺りを見回す。
折原がいない。

「おりはら?」

まだ発音がおかしい。
私が先ほどまで居た場所には誰もいなかった。
だけど、そこから視線を目の前、歩道の奥へと進めていくと無残な姿になった車と──倒れている誰かの姿が見えた。
その周りは赤い液体でべったりと濡れている。

「────あ、あっ、────あっ」

言葉が言葉とならない。
私の喉から洩れるのは恐怖の混ざったうめき声だけ。
私は目の前の出来事を認識できない。
膝が笑っている。
心が信じられないぐらいに動揺している。
よく分からない。
分からないのに、倒れているのは折原だと理解していた。

「嘘……よ」

今度は言葉がうまく発声された。
私は震える足で折原のもとへと近づいていく。

「ねぇ、折原ったら」

力のない呼びかけ。
だけど、私は精一杯に叫んだつもりだった。

「はは、悪い、…な。クリスマス、パーティに……行けそうに、ない、…な」

話すのも苦痛そうなのに、それでも折原は答えてくれた。
体中血まみれなのに、折原はいつもの折原だった。
非現実と現実が混在している。
私は彼の命の灯が次第に弱くなっていくのを感じている。
──とても怖かった。

「おりはら、しっかりして、ねぇ、おりはら!」

錯乱していた。
本当は他にやらなければならないことがあるはずなのに、私は涙を流しながら折原を腕の中に抱いた。

「悪い…な。……、なな、せ………」

折原の苦しそうな声。
だけど、その言葉はどこまでも私のことを心配してくれている。


──────突然、腕に伝わる彼の重みが増したように感じた。































折原の瞳はもう開くことはなかった。





































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