美坂さんの日記 ページ1 ページ2


目次
1日目<栞の日記> 2日目<香里の日記> 3日目<栞の日記> 4日目<香里の日記> 5日目<栞の日記>

6日目<香里の日記> 7日目<栞の日記> 8日目<香里の日記> 9日目<栞の日記> 10日目<香里の日記>




美坂さんの日記1


1日目<栞の日記>


今日から新しい日記帳です。


ここはお姉ちゃんのお部屋。

私の自室とは違って、余計なものが一切ありません。何となくお姉ちゃんの性格が現れているような気がします。

「お姉ちゃん、遂に明日からですね」

私は今まで病を患っていたせいで、学校に行くことが出来ませんでした。でも、遂に最近病気が完治して、お医者さんから学校へ行っても良いという許可がおりました。私は物凄く嬉しいです。だって、お姉ちゃんと一緒の学校に行くのが私の夢だったから。

「ええ、そうね」

お姉ちゃんはいつもそっけない態度しかとりません。私は不満ですよ。

「もう少し嬉しそうにしてください!」

「嬉しそうに見えない?」

さも疑問そうにお姉ちゃんは言います。

「ぜんぜーん、見えません」

「不思議ね・・・」

「そんな、お姉ちゃん嫌いです」

ぷんぷん、私は少し怒っちゃいました。

すると、お姉ちゃんの顔が見る見るうちに青ざめていきます。え、お姉ちゃん?

「・・・ご、ごめんね、栞、許して・・こんな、お姉ちゃんだけど、お願い許して・・・」

お姉ちゃんは涙を浮かべて私に謝ります。

「お、お姉ちゃん、冗談ですよ、・・な、泣かないでください」

「・・・そうなの?」

お姉ちゃんが弱々しく訊ねます。

「は、はい」

「私、てっきり栞に嫌われたかと思って・・・」

最近のお姉ちゃんはどうも情緒不安定なところがあります。今日のように私の冗談を真に受けることも少なくありません。

「私はお姉ちゃんのこと大好きです」

にっこりと笑顔を浮かべて私は言います。これは本音ですよ。

「・・・栞・・・」

ぎゅっとお姉ちゃんは私のことを抱きしめます。・・・お姉ちゃんは本当に優しいです。


しばらくして、お姉ちゃんは私をそっと放して、

「栞、もう遅いわ。自分の部屋に戻りなさい」

と優しく私に言います。

『お姉ちゃん、まだ早いよ』なんて言える雰囲気じゃないので

「それじゃ、お姉ちゃん、おやすみなさい」

と言うことにしました。

「おやすみ、栞」


ちなみに今は夜の8時です。


と、とりあえず明日がとても楽しみだなあ・・・

(お姉ちゃん、最近、少し変?)



美坂さんの日記2


2日目<香里の日記>


栞に日記帳を貰ったので、とりあえず日記を書いてみることにする。


学校への通学中。

「栞、手をつなごっか?」

私は思い切って栞に聞いてみる。そういえば、昔はよくそうしていたわよね・・・

「・・・恥ずかしいですよ、お姉ちゃん」

「ふふ、気にしない、気にしない」

私は栞の小さい手を優しく握る。

「・・・恥ずかしいです・・・」

真っ赤になって栞は俯いていたけど、そこがまた可愛・・・って何を考えてるの? 私。

でも、幸せだからいいわ。

「あら、いつの間にか学校ね」

全然気がつかなかった。

「そ、それじゃ、お姉ちゃん私、行くね」

「栞、一人でも大丈夫?」

栞、お姉ちゃんは心配よ。

「お姉ちゃんは心配性過ぎます」

「でも・・・」

「大丈夫です。私だってもう子供じゃありませんよ」

栞はほっぺを膨らまして言う。・・・そういうところが子供っぽいのよ。私はやっぱり心配だった。でも、あの子の意思も尊敬しなくちゃね。難しいところだわ。
とりあえず、栞の意思を尊重するという方面で行こうかしら?でもあの子は致命的な一言を無邪気に放つ。

「あの人に逢えるんですね・・・楽しみです」

ピクリ

「栞」

「はい、何でしょう、お姉ちゃん?」

「今日は早退よ」

「え!? 何を言ってるんですか」

栞は物凄く驚いていた。・・・でも関係ないわ。

「早退よ」

「で、でも・・・」

「そ・う・た・い・よ!!」

一言一言を力をこめて私は言う。

「・・うぅ・・・」

「そんなこと言うお姉ちゃんなんか・・・」

スッ

「・・・う・・・(パタッ)」

私は栞が言葉を言い終わる前に手刀を極める。・・・漫画だけの話かと思っていたけど、案外うまくいくものね。私は変なところで感心していた。

ごめんね、栞。こんなお姉ちゃんを許してね。


そんなこんなで栞は早退することに決定した。ちなみに、先生達がなまじ栞の病気のことを知っていたため、怪しまれることはなかったことをここに記しておく。



自宅にて。

「お姉ちゃん、酷いです」

栞が目を覚ましたのはついさっき。あまりにも長い時間だったので私は少し心配していた。でも目を覚ましてからずっと、栞は私に文句ばかり言っている。

「ごめんね、つい、手が滑っちゃって」

「嘘です、あれは狙ってました」

・・・・。

「・・・気のせいよ」

「いま、変な間がありました!・・・お姉ちゃん、最近変ですよ」

・・・そうなのかしら?

「それも気のせいよ」

「私、お姉ちゃんと同じ学校に行くのを楽しみにしていたんですよ」

「一緒に登校したわ」

「・・・それだけじゃ駄目なんです」

「また、明日があるわ」

「うぅ〜、明日からごーるでんうぃーくです〜」

そう言えばそうね。

「・・・あの人に逢えると思って楽しみにしていたのに・・・」

ピクリ

「栞、もう遅いわ、寝なさい」

「え? お姉ちゃん、夕ご飯だってまだ食べてませんよ」

「夜更かしはお肌の敵よ」

「言ってることがおかしいですよ」


色々言っていた栞だけど、結局私の言うことを聞いてくれた。・・・ほんと良い子ね。

それにしても何か対策を考えなければならないわね。あの男のことを。

絶対にあいつになんか栞は渡さないわ。見てなさい。

ふふふ、私を敵に回すことがどんなことか教えてあげるわよ。





ふぅ、日記ってこんなものかしらね。(お姉ちゃん、絶対に間違ってますよ By美坂妹)

あれ? 栞の声がしたような・・・気のせいかしら。

とりあえず、今日は筆を置くわ。


美坂さんの日記3


3日目<栞の日記>


突然ですが、私こと美坂栞は家出を実行中です。

実はお姉ちゃんから危険な雰囲気を感じたので思わず逃げてきました。



〜私的回想シーン〜

「今日からゴールデンウィークですね」


何となく独り言をしながら私は自宅の廊下を歩いていました。


「・・・ふふふ・・・」


ぴたっ


お姉ちゃんのお部屋の前を通ったときでした。私の耳に微かに笑い声が聞こえてきました。


「・・・栞・・・ふふふ」


ぞくっ


突然、悪寒が走ります。何かが私に警笛を鳴らしています。


思わずお姉ちゃんの部屋の中を覗こうとしましたが、足が動きません。


「・・・かわいい・・・ふふ」


足がガタガタと震えています。私は何とか足を動かして立ち去ろうと・・・


「・・・抱きしめたくなるわ・・・ふふふ・・・ふふふ」


気がついた時には私は玄関に向かって走り出していました。



「栞、どうしたの?」


居間で掃除機をかけていたお母さんが話し掛けてきますが、正直、相手をしている心の余裕がありません。


「顔が真っ青よ。具合でも悪いの?」


お母さんが心配そうに私を見ています。でも、私は今・・・


「ごめんなさい!」

「え?」


何を言っているのか分からないという風に、お母さんは疑問の声を上げます。


「栞は家出します」

「えっ!?」


お母さんの驚きの声。


そして、私はお母さんの制止の声を振り切って家をとび出しました。

〜回想終了です〜



「さあ、どうしましょうか」


商店街の前でぶらぶらしながら呟きます。

成り行きで出てきてしまったので、お店に入りたくても入れません。もちろん手ぶらに近いです。


「薬だけはいっぱい有るんですがね」


思わずぽつりと呟いてしまいます。


「うわぁ、危険な発言だな」


!! 突然私の近くで声がしました。


「わ、祐一さん!」

「おう、祐一さんだぞ」


そこにいたのは祐一さんでした。


「あの、お久しぶりです」


私はペコリと頭を下げます。


「うむ、久しいぞしおりん」

「塩リン? ・・・新しい物質の名前ですか?」


聞きなれない単語ですね。


「・・・いや、いいよ」


??? 何故か祐一さんが微妙な表情をしています。


「ところでどうしたんだ、こんなところで」

「実はですね・・・」


正直に私は一部始終をお話しました。祐一さんは私の知り合いの中でも私が特に信頼を置いている人の一人なので、何も問題はありません。と言っても、知り合い自体が少ないのですが。


・・・

・・・・・・

・・・・・・・・・


「・・・なんと言うか・・その・・・すごいな」


とても言いづらそうに祐一さんは言葉を繋ぎます。


「そうなんですよ。それで私、逃げ出してきたのは良いのですが、行く当てがなくて・・・」


ノーマネーなのでお店にもいけません。かと言って、自宅に戻るのは・・・危険です。


「うーん、そうだな・・・家に来るか? と言っても俺の家じゃないんだがな」


思いがけない祐一さんの提案。


「えっと、いいんですか? 行っても」

「おう、秋子さんだったらOKくれるだろうし」


たぶん、祐一さんがお世話になっている方の名前なのでしょう。

祐一さんからの折角の申し出・・・ありがたくご好意を頂くことにします。


「それじゃ、お願いします」


私はペコリと頭を下げて、祐一さんにお願いします。


「よし。じゃ、行きますか」


そんなわけで私は祐一さんの(正しくは秋子さんの)お家へ向かうことになりました。










「あの秋子さん良いでしょうか?」


ここは祐一さんのお家の居間です。私たちの目の前にはとても美人なお姉さんがやさしい微笑を浮かべながら座っています。・・・憧れちゃいますね。私もいつかこんな素敵な女性になれるのでしょうか。


「了承」


一秒もかからずに答えが返ってきました。ちょっと驚きです。


「ええと、お世話になります」


私はアセアセしながらも頭を下げます。


「はい、こちらこそよろしくお願いしますね、栞ちゃん」


目の前のお姉さんはやさしい雰囲気がしてやっぱり素敵です。





後に判明したのですが、そのお姉さんが秋子さんで、名雪さんのお母さんなのだそうです。最初、聞いたときには私の耳を疑ったぐらい驚きました。


こうして、水瀬家でごーるでんうぃーくの1日目は過ぎていきました、まる。


美坂さんの日記4


4日目<香里の日記>


栞が昨日から家出をしている。

…正直、私は物凄く落ち込んでいるわ。

だって、栞と1日中離れることなく暮らしていればこんなことにならなかったはずだもの。

そんなわけで昨日1日は何もする気力もなく、枕をぬらしていたわ。










「お母さん、栞はどこにいるの!!」


昨日とはうって変わり、私は積極的に栞を探すことにした。

そこで一番この件に通じていそうな、我が母に白羽の矢が立ったわけ。というわけで、朝一番に母を叩き起こしたわ。


「それが分からないの」


頬に右手をあてて、困ったわのポーズをとる母。ちなみにこの母無理やり起こしたわりには、眠そうな素振りを一片も見せよとはしない。


「そう…。なら、警察に連絡してくるわ」


私は居間に備え付けられている電話へと手をのばす。


「ま、待ちなさい、香里」


手をぴたっと止める。


「お母さん、知ってるのね?」


母の反応から簡単にそれが分かった。普通だったら娘の家出にこれほど冷静でいられるはずはないから。


「……あ、そろそろ朝食の準備をしなくちゃね」


母は露骨に話をそらし、そそくさと居間を出て行った。

逃げられたが母は何かを知っていることはこれではっきりとした。

もっとも、母はあれでいて口が堅いのでこれ以上の情報を入手することは難しいだろう。


さて、他の心当たりは……考えるまでもなかったわね。

冷静になってみると、栞は長期の入院のため交友関係は極めて少ないことが分かる。その中から栞が頼りにしそうな人と言えば…

思わず口元が歪む。

「相沢祐一、あなたね!!」










水瀬、目の前の表札にはそう書かれている。

クラスメイトの相沢祐一は家庭の事情から私の親友、水瀬名雪の家に居候をしている。

ピンポーン

玄関のチャイムを鳴らす。

………

少しの間待ってみるが、応答がない。

もう一度鳴らす。

………

数分待ってみるが、やはり応答がない。

いつもだったら、名雪の母である秋子さんが朗らかに迎えてくれるはずなのに。


「どうして…」



「よう、美坂。何してるんだ?」


背後から聞きなれた声が聞こえる。


「北川くん?」


そこにはクラスメイトの北川潤がいた。彼はジョギング中なのかスポーツウェアを着込み、肩にはタオルを下げている。


「こんな早朝から水瀬の家に用事か?」

「ええ、とても大事な用があるの」


普通だったら訪問するには迷惑な時間(ちなみに今は6時半を少し過ぎたぐらいよ)。だけど、今はそんな世間の常識になんて付き合っていられない。…栞のために。


「でもな、水瀬たちならいないぜ」

「!? どういうこと?」


北川くんの思いもよらぬ言葉に驚きを隠せなかった。


「いや、昨日の夜遅くに列車の深夜発に水瀬家一同で乗り込んでいたからな。そう言えば、一人見慣れない子がいたような気もするが」


最後に北川くんはバイトの帰りに偶然見たと付け加えた。


「き、北川くん、その子の特徴は?」

「うーん、暗かったからなんとも言えないが、小柄だったとしか。…あ、そういえばストールみたいなのを身に付けていたかもしれないなぁ」


十中八九、栞ね。


「そう、ありがとう」

「おう、気にするな。それじゃ、俺は行くからな」


そう言って、北川くんはジョギングしながら去っていった。



私は少し思案する。

これは間違いなく誘拐だと思う。だから、ここは警察に連絡するのが最良の選択。だけど、そうなると名雪や秋子さんに迷惑がかかってしまう。しかも、これが栞の意思で同行したとな
ると私の通報は無意味。

…さあ、どうするの、私?










その頃、美坂家では


「でも、水瀬さん、ご迷惑じゃありませんか?」

「いえいえ、私も娘が増えたみたいで嬉しいんですよ」

「そうですか、それでは栞をよろしくお願いします」

「はい、責任を持ってお預かりします。それでは美坂さん、これで失礼させていただきます」

「はい、お世話になります」


美坂母と水瀬母(秋子さん)が電話をしていた。










そんなことを知らない私は結局、思考の泥沼にはまり水瀬家の前で1日のほとんどを過ごすこととなってしまった。


美坂さんの日記5


5日目<栞の日記>


「………」


ぼー

眠いです。


「おはようございます、栞ちゃん」


目の前には浴衣姿が素敵な秋子さんがいました。


「おはようございます、秋子さん」


そうでした。ここは旅館の一室。私は秋子さんたちと一緒に旅行中だったんです。


「…うにゅう…」


名雪さんがむくりと布団から起き上がります。


「あ、おはようございます、名雪さん」

「けろぴーはここ」

「え!? えっ、ええええーーーー!!」


名雪さんが私のことを持ち上げて自分の布団まで持っていきます。

……私が軽いんでしょうか、それとも名雪さんの腕力が凄いのでしょうか?


「あらあら、名雪はまだ寝ぼけているようね」

「けろぴー……すやすや」


私は名雪さんの隣で抱き枕になってしまいました。


「うぅ、秋子さ〜ん」

「あらあら」


秋子さんはいつものように頬に軽く手を当てたまま、朗らかな笑顔を浮かべています。

秋子さん、へるぷみ〜〜〜〜です。





1時間後。


「おはようございます、祐一さん」

「あ、おはようございます、秋子さん……って栞、どうしたんだ?」

「えぅ〜、私はぬいぐるみでも、抱き枕でもありませんよ〜」

「本当にどうしたんですか? 栞が違う世界に行ってますよ」

「あらあら」

「いっちご、いっちご〜」





30分後。


「はっ! 私は」

「お、栞、戻ってきたか」

「はい、美坂栞、ただ今戻ってまいりました」


祐一さんは苦笑いを浮かべています。

そう言えば私は名雪さんのぬいぐるみとなって……忘れましょう。そうしましょう。

そう言うわけで、私たちは何事も無く朝食を食べ終わりました(ごめんなさい、私、食べるのが遅くて)。


ちなみに補足しますが、祐一さんは私たちと同じ部屋ではありませんでしたよ。秋子さんは一緒の部屋にしたかったらしいですが、祐一さんがそれをやんわりと断り、自分で部屋を取っていました。うーん、紳士ですねぇ。





「そろそろ、帰りましょうか」


旅館を出て、しばらく辺りの景色を眺めていると秋子さんがそう言いました。


「うん」

「そうですね、そろそろ電車の時間ですし」


それに名雪さんと祐一さんも同意します。


「栞ちゃんも良いかしら?」

「あ、はい、ちょっと名残惜しいですけど」


私はこの風景を目に焼き付けるように見ながら、言います。


「また、一緒に来ましょう」

「はい、ありがとうございます」


秋子さんの思いやりに感謝して、さらば、旅行地よ……です。





ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン


電車に揺られて私たちは自分たちの町への帰り道につきます。

ちなみに座席は私が窓際でその隣に秋子さん、目の前に祐一さん、その隣に名雪さんです。祐一さんと名雪さんは2人仲良く眠っています。……少し妬けますね。


「栞ちゃん、旅行は楽しかったかしら?」


秋子さんが優しく語り掛けてきます。


「はい、とっても楽しかったです」

「私もそう言ってもらえて嬉しいわ」


秋子さんの人を安心させる笑顔は本当に素敵だな、と感じます。


「でも、私、ご迷惑じゃありませんでしたか?」

「いいえ、全然そんなことはありませんでしたよ。私は娘が一人増えたみたいで嬉しかったわ」


秋子さんは続けます。


「本当はね、私は娘が2人欲しかったの。…私自身、2人姉妹でね、本当に仲の良い姉妹だったの。もちろん、今だって変わらないわ。だからね、栞ちゃんには悪いとは思ったけど、私は娘としてあなたをこの3日間見ていたの。ごめんなさいね」


秋子さんは軽く頭を下げます。

私はすぐに頭を横に振り、答えます。


「いいえ、ありがとうございます」

「…もし良かったらだけど、また私の娘になってもらえるかしら?」

「はい、喜んで」


私は満面の笑みを秋子さんに向けました。


「ありがとう、栞ちゃん」


水瀬家には一人の大事な家族が欠けています。だけど、私がどうこう言えることではありませんし、秋子さんや名雪さんがそれをどう思っているのかも分かりません。それでも、きっと秋子さんは顔には出しませんが、悲しみを秘めているのだと思います。だから、私は秋子さんの望む家族像を実現させてあげたいと心の底から思いました。…少し生意気かもしれませんね。





「ただいま」


水瀬家の皆さんと別れて、私は自宅へと3日ぶりの帰宅を遂げます。


「おかえりなさい、栞」


お母さんが暖かく私を迎えてくれます。


「どうだった、旅行は?」

「はい、最高でした」

「そう、良かったわね」

「…あの〜お姉ちゃんは?」


何となく弱腰に私は訊ねます。


「!! 栞〜〜〜〜」


ガバッ


「お、お姉ちゃん、く、くるしいです」


私のことをギュッと抱きしめるお姉ちゃん。


「栞、栞、しおりーーーー」


今日1日の締めは、お姉ちゃんによる抱擁と3日間の詰問でした。

はぁ〜。


美坂さんの日記6


6日目<香里の日記>


「何故、何故なの?」


私は疑問でしょうがなかった。


「ふんふ〜ん♪♪」


(かわいい…)


思わず目の前を歩く栞の愛らしい制服姿に目を奪われる。


「…って、違うわよ」


私は頭をブンブン振って栞のことを頭の隅に追いやる。そして、思考を再び頭の中で展開させる。

今日は5月6日月曜日、昨日は言わずと知れた子供の日でゴールデンウィークと呼ばれる休日に属す。そんなことは誰でも知っていることだ。

だが、ここで問題としたいのは『何故、今私たちが学校へ登校をしているのか』と言うことである。本来なら今日は5月5日の振替休日であるのが普通であろう。しかし、この私たちの通う学園は何故か登校日となっている。その証拠に5月6日はカレンダーの中に赤い文字で休みと記されていた。


「理不尽だわ」


はっきり言ってその通り。本来なら今日は栞と有意義な時間を一緒に過ごすはずだったのに…。昨日までのゴールデンウィーク3日間は色々なことがあり、栞と一緒にいるという目的自体が実行できなかった。


「私がそれをどんな気持ちで過ごしたか分かってるの!!」


ビクッ


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

「…どうして栞が謝ってるの」


突然、私に頭を下げて謝りはじめる栞。


「えっ…だって、お姉ちゃんがいきなり怒鳴るから…」


どうやら思考中、あまりにも熱くなりすぎたようだわ。


「大丈夫よ、私は怒ってなんかいないわ」


出来る限り優しい声で私は栞に語りかける。


「…そうですね、そうですよね」


そう言って、また栞は機嫌よく鼻歌を歌いだした。

…ええと、私は何について考えていたのかしら。栞のことに気をとられ、つい先ほどまで考えていたことが思い出せない。少し思考が飛んでいる。…ど忘れかしら?

最近少し思うことがある。もしかしたら、自分の脳内のデータのほとんどが栞で埋まっているのではないかと。別に悪くはないのだが少し心配である。まぁ、自分で言うのも何だが、今まで栞のことを拒否していた分のしわ寄せがここになって出てきたのかもしれない。

あの時のことを思い出すと自己嫌悪と胸が張り裂けそうなほど切なさが襲い掛かってくる。本当に栞には悪いことをした。どんなに謝っても、言葉にしてもこの罪は消えることはない。

だから、私が栞の傍に入れる時だけで良いから……


「あ、祐一さんに名雪さん」


!? 栞の言葉に思考はまたしても中断される。いや、それよりも…


「栞、急ぐわよ」

「えっ、祐一さんと名雪さんを待たないんですか?」


栞は不思議そうに私の顔を見やる。ちなみに相沢君&名雪は私たちの後方約200メートルと言った所。まずいわ、非常にまずいわ。

私の頭の中に一つの方程式が生まれる。相沢君&名雪+朝+登校=遅刻。至極簡単な方程式だった。考えるまでも無かったわね。


「栞、走れる? …いえ、掴まってなさい」

「えっ、えっ、ええええ!?」


私は栞の腕を優しく(?)掴み走り出す。


「おはよう、かお……何で走り出すの〜!!」


遠くで名雪の声が聞こえる。

親友だろうと関係ないわ。私は遅刻なんてしたくない。いえ、この子を遅刻なんてさせたくないの。この子の輝かしい未来のために。


「お、おね、おねえちゃ〜ん」


栞が目をぐるぐるにしながら私の手をぎゅっと握る。


「大丈夫よ、私があなたを遅刻させないわ」

「ま、まだ、8時ですよ〜」


ピタッ


思わず足が止まる。恐る恐る、私は左腕の腕時計を確認する。8時2分。シンプルなアナログ時計がそう記していた。

…どうして? どうしてなの? あの名雪が後ろにいるのよ。こんな時間なはずないじゃない。


「う〜、追いついたよ〜、香里」


いつの間にか名雪が私たちの後ろに立っていた。


「な、名雪」


私は幽霊でも見るかのように親友の顔を覗き込む。


「どうして逃げたの」


彼女は自分は怒っていると主張するかのように眉をつり上げる。それでも生来の雰囲気のせいか全然怖くなかった。


「名雪……遅刻じゃないの?」


質問が少し変な気もするが気にしない。それよりも学生生活のほぼ全てを遅刻またはそれに近いもので通している名雪がこの時間にここにいることが問題だ。


「祐一〜、香里が私のこと、馬鹿にするよ〜」


名雪とは対照的にゆっくりと歩いて私たちに追いついてきた相沢君に名雪が話し掛ける。


「…日頃の行いが悪いからだろ」


あっさりと彼は言い放った。


「う〜、祐一もいじめるよ」

「よう、美坂姉妹」


相沢君は名雪のことは見事なまでに無視をして、私たちに手を軽く振る。


「無視されたよ〜」


名雪は一人いじけて、地面にしゃがみこんでしまった。


「…おはようございます。祐一さん」


そんな名雪の姿に少し苦笑いをしながら栞が相沢君にあいさつを返す。


「ところで相沢君」

「朝はおはようだよ」


愚かなセリフを口にする相沢祐一。とりあえず私は無視。さっさと本題に入る。


「後で体育館の裏に来なさい」

「……お前は時代錯誤な番長かよ」


無視。


「あなたには聞きたいことがたくさんあるのよ」

「俺にはないぞ」


私にはあるのよ!


「あなたに拒否権はないわよ」

「つーか、良く分からんし」


…確かに急に体育館裏じゃ分からないかもしれないわね。でもね、


「ゴールデンウィーク、旅行、我が妹……十分かしら?」

「…旅行は栞の同意の上なんだが」

「それでも姉としては気になるのよ」


本当のことだったが、それ以上の本音は言葉にしない。ちょっと負の感情が渦巻いているからね、私の本音は。


「それじゃあ、何で体育館裏なんだ? 普通に今聞けば良いだろ」


ごもっとも。だけどね…今は栞とか名雪とか人の目があるじゃない? ねぇ?


「とにかく、今日の昼休みね」

「…分かったよ、昼休み体育館裏な」


ふふふふ。

思わず心の中で笑みがこぼれるのを感じたわ。





「…なんか祐一と香里、仲が良いね」

「そうですね」


いつの間にか復活した名雪と栞がひそひそと話しをしていた。

気のせいか2人とも私を見て、あからさまに目をそらしていたような気がしたけど何故かしら?










……さて、どうやら栞が私の部屋に来たようだわ。ちなみに今この日記を自室で書いているところよ。

ここで今日の日記は終わらせようかしら。そう言えば、栞が日記はその日の中で一番心に残ったことを書けばいいと言っていたような気がするわ。今日からそうしようかしらね。とりあえず、私は栞との時間を最優先にさせてもらうわ。

あ、そうそう、本当に体育館裏に相沢君を呼び出して、ゴールデンウィーク中のことを彼に事細かに吐かせたことをここに記しておくわね。その時のやり取りは秘密よ。


美坂さんの日記7


7日目<栞の日記>


トントントン

まな板の上で軽快なリズムが刻まれます。


「次はじゃがいもさんですね」


あらかじめ皮を剥いてあったじゃがいもを手にとり、切り始めます。




………

……………


出来ましたっ♪

私は目の前にはちょっと大きめのお弁当箱。それを見ると思わず微笑んでしまいます。


「我ながら上出来ですっ」










昼休み、私は3年生の教室前の廊下にいました。

教室の扉を開けようとしては止めて、開けようとしては止めてを私は一人、繰り返してしまいます。傍を通る上級生方々が不思議そうに私のことを見ていることが分かってしまいますよ〜。


(……えぅ、恥ずかしいです…)


恥ずかしさと緊張とで胸がドキドキします。私はしばらくの間、目を瞑り、胸に手を当ててその場でじっとしてました。


「すぅ、はぁー…すぅ、はぁー」


深呼吸をして、気持ちを落ち着かせます。


「よう、栞ちゃん」


ビクッ


いきなり後ろから肩を叩かれました。より一層胸がドキドキいっています。

振り向くとそこには、昨日お姉ちゃんに紹介してもらった男性(お姉ちゃんによると仲の良い男友達なんだそうです)が立っていました。


「あの…その、北川さん、ですよね」


確か、お姉ちゃんが北川君と言っていたような気がします。少し自信がないです。


「お、嬉しいねぇ。名前覚えてくれたんだ」

「あ、はい」


内心、名前があっていたことに安心しました。名前を間違えるのは失礼ですからね。


「それで、どうしたんだい、こんな所で」

「えっ、ええと…その…」

「ああ、そうかそうか、香里を呼びにきたんだな。今呼んでくるよ」


北川さんは納得が言ったような表情をして自分の教室に向かおうとします。

で、でも、私は…。


「あっ、違うんです!」


思わず言葉に力がこもってしまいます。

実は今朝、お姉ちゃんには友達と昼食を食べることにしていると言っていたので、呼ばれると都合が悪いのです。


「ん、それじゃあ…うーん」


北川さんは胸の前で腕を組んで考え始めます。


(…ここでじっとしてても仕方がないんですよね。そうですね、北川さんに聞いて見ましょう)


私はそう結論を出し、それを言葉にします。


「あっ、あの、実は……」










トントン


ここは3年生の教室から少し離れたところにある生徒会室。私はそこの扉を恐る恐るノックします。


「開いている、入ってきたまえ」


中から男性の声。


「し、失礼しますっ」


生徒会室の中では一人の男子生徒がノートパソコンの前でキーを叩いていました。どうやら他には誰もいないようです。

私の声を聞いて、その男子生徒はキーを叩くのを止めます。

そして、視線が私の方を向き、一瞬目が合いました。


「君は確か…」


顎に手を当てて、私の方を彼は見ます。


「は、はいっ、み、美坂栞です。お、お久しぶりです、久瀬さん」


私は緊張のあまり言葉がうまく出てきませんでした。…うぅ、恥ずかしいです。


「ほう、回復したと聞いてはいたが、学校に登校していたとはね」


久瀬さんはそんな私の様子には気付かずに話を続けきます。


「はい、おかげ様で元気になりました」


今度はぎこちないながらも笑顔と共に言葉を告げることが出来ました。


「ふむ、それは結構」


久瀬さんはそれで用が済んだと思ったのか、再びキーボードを叩き始めます。


「そ、それで、その…」

「他にも何か用かね」


再び私に視線を向けて、久瀬さんが訊ねます。


「じ、実はお弁当を作ってきたんです。よろしければどうぞっ!!」


久瀬さんの顔を見ることが出来ず、私は下を向いたままお弁当箱を差し出します。

今、最高潮に私の胸が高鳴っています。たぶん、自分では見れないけど顔も真っ赤になっているような気がします。それでも、私は勇気を振り絞って久瀬さんの前にお弁当箱を差し出すことが出来ました。でも、受け取ってもらえなかったらどうしよう…。そんなネガティブな考えが頭の中を巡ります。

時間にしてはほんの一瞬、しかし私にとっては永遠にも近い時間が私と久瀬さんとの間に流れます。


「…ふむ、ありがたく頂こう」


私の両手からお弁当箱の重さが消えていきます。


「あ、ありがとうございます!!」


嬉しい、嬉しいよ。こんな嬉しいことは本当に久しぶりでした。


「何故君が礼を言う。礼を言うのは私だ」


久瀬さんは疑問そうに私を見ていますが、あまり気になりません。


「それでもありがとうございます」

「ふぅ、君は良く分からんな」


そう言えば、前に私服で学校に来たとき、祐一さんにも同じ事を言われたような気がします。


「その、よく言われます」


久瀬さんは少し呆れたような…いえ、久瀬さんの眼鏡が光で反射して表情は良く分かりませんが、そんな感じで彼は話を続けます。


「…ところで君は昼は済ませたのかな」

「ええと、まだです」


私の頭の中はお弁当箱を渡すことでいっぱいだったので、そんな余裕は正直ありませんでしたね。


「そうか、なら君も一緒に食べたまえ」

「えっ!?」


久瀬さんの思いがけない提案。


「さすがに私一人でこの量は食べ切れんよ」


私は改めてお弁当をまじまじと見つめます。…ちょっと多いかもしれませんね。


「その、作りすぎちゃいましたか」

「2人分だったら、丁度良い分量かもしれんよ」


そう言って、久瀬さんは机の中から割り箸を出して、私に渡します。


「それよりも、早く食べてしまった方が良さそうだ。午後の授業まであと10分をきっている」






久瀬さんがお弁当を少し早めのペースで食べます。お弁当箱の中身は徐々に減っていっているのは良いのですが、久瀬さんの表情があまりにも変化に乏しいため料理が美味しいのかそうでないのか私には分かりませんでした。

久瀬さんは箸を止めて、私に目を向けます。


「食べないのかね」

「ええと、その、美味しいですか」


恐る恐る私は聞きます。


「程好い」


たった一言、久瀬さんはそう言って再び箸を動かし始めます。


「その、それは…」


どういう意味なんですか?


「嫌いな味ではない、と捉えてもらっても結構。さあ、君も早く食べなさい」


「はいっ!」


私も箸を動かし始めました。


美坂さんの日記8


8日目<香里の日記>


栞に友達が出来た。

姉としてこれほど嬉しいことは無いと思う。今までは病気のせいで友達を作る機会すらなかったから。あの子は明るい子だから友達をいっぱい作って、楽しい学校生活を本当は送れるはずだった。なのに栞は辛い運命を背負ってしまったばっかりに、それを叶える事はつい先日まで出来なかった。それでも、あの子は負けることなく、今では立派に前へと進んでいっている。それを感じ取れた。

でも、私としては複雑かもね。嬉しい反面、自立していく栞に対してちょっと寂しく感じている自分がいるわ。…ううん、そんなことを考えていては駄目ね。姉失格よ。

それにしても、栞の友達の天野さんってどんな人なのかしら。興味があるわね。










放課後、私は栞の教室の前にいた。

もちろん天野さんと会って話をするために。

昼休みに相沢くんから聞いた話によると(なんと意外なことに2人は知り合いだという)、彼女はとてもおとなしくて、人見知りが激しい人だそうだ。大方、相沢くんは栞から友達になろうとでも誘ったのだろうと言っていた。ちなみに今日の昼食も栞はその天野さんと一緒だったらしい。

あれこれ考えていると、丁度栞の教室から一人の女子生徒が出てきた。


「ちょっとごめんね、天野さんっていう人いるかしら」

「あ、はい。教室の中にいますけど」


窓際の一番後ろの席にいるのが天野さんですよ、と彼女は付け加える。


「そう、ありがとう」

「いえ、それでは失礼します」


そう言って軽く頭を下げて彼女は去っていく。

それを確認した後、私はドアの隙間から天野さんの姿を見つけようとする。さっきの女子生徒の言っていたところに目を向けると、分厚い本に目を落としたまま、熱心に読書に励んでいる女子生徒がいた。赤みがかった髪に少し小柄な身長、誠実さと清潔感を漂わせる学則通りの服装。

…あの子が天野さんね。

私は教室に足を踏み入れて、天野さんの近くまで寄っていく。


「こんにちは、あなたが天野さんね」


ゆっくりと天野さんは本から目を上げて、私の方に顔を向ける。


「はい、そうですが。…失礼ですが、あなたは?」

「あ、ごめんなさい。私は美坂香里、美坂栞の姉よ」

「美坂さんの…。私は天野美汐と申します。不束ながら美坂栞さんとは友人でいさせてもらっています」


言葉づかいが妙に丁寧な気がする。やっぱり私が先輩だからかしら。


「え、ええと、栞がお世話になっているようで…」

「いいえ、私の方がお世話になっています。美坂栞さんのおかげで友人を持つことの意義を知ったような気がします」

「そ、そうなの」


凛とした彼女の口調に私は少し気をされる。


「はい、私は昔から友人らしい友人はいませんでしたが、そんな私でも美坂さんは友達になってくれました。本当に嬉しかったです。彼女の存在が私を助けてくれています」


そんな彼女の表情には寂しさと喜びが混在しているように見えた。

もしかしたら、彼女も栞と同じく孤独を抱えていたのかもしれない。


「…栞が病気だったということは聞いているわよね」

「はい、詳しいことは聞いていませんが、大分重かったそうですね」

「ええ、そのせいで栞も友達らしい友達がいなくてね。しかもそんなとき私は何もしてあげられなかった…」


それは私の罪、永遠に消えることない傷痕。決して私は私を許さないだろう。


「…だから、お願い、栞とずっと仲良くしてやって」


それは切望だったのかもしれない。一番大切な妹のことを思っての。


「…それは出来ません」

「えっ、どうして!?」

「友達というのは互いの気持ちが自発的に働いて作られるものだと私は考えています。ですから、誰かに頼まれて友達関係は作るものではありません。それに私は美坂さんが望む限りずっと友達でいたいという意思があります。彼女が困っていたら支えてあげたいと思っています。……私にとってはかけがえの無い親友です」


天野さんの言葉が私の胸に染み渡る。その言葉の一つ一つに栞を思ってくれる気持ちを感じる。


「…ありがとう、本当にありがとう」


親友は時間で作られるものではない、どこかで聞いたそんな言葉がふと頭の中によみがえる。そして、それは真実で、彼女は紛れも無く栞の親友であることを知った。


「…でも、友情と恋は別物のようですね」

「!! それはどういう意味?」


天野さんがポツリと漏らした言葉に私は過敏に反応した。


「美坂さんは昨日からお昼なると、憧れの人に会いに行っているそうです。…一緒にお弁当を食べれないので少し残念ですね」

「………」


すっかり忘れていたわ。栞の言うあの人の存在を。


「あの、美坂先輩?」


天野さんが疑問そうに私の顔色を覗う。


「…何でもないわ。それより、今日はありがとう。あなたのような人が栞の友達だと分かって嬉しいわ」

「いえ、私なんて…」


天野さんは謙遜しているようだったが、私の言葉は嘘偽りのない心からの本音だった。


「ふふ、それじゃあね、天野さん」

「はい、またお会いしましょう、美坂先輩」





天野美汐さん、とても良い人だったわね。彼女には本当にいつまでも栞の親友でいてもらいたい、私はそう願った。


さて、問題はこの学校の生徒会長なのよね。とりあえず栞には後でじっくりと話を聞かせてもらわないと。


美坂さんの日記9


9日目<栞の日記>


「久瀬さん、美味しいですか」

「ふむ、悪くはない」


昼休み、私はいつものように生徒会室で久瀬さんと共に昼食をとっていました。


「──栞君」


お弁当の残りのあと少しというところで久瀬さんが話し掛けてきます。


「あっ、はい!」


まだ私は彼の前だと緊張してしまうようです。もっとも、久瀬さんと一緒に昼食をとるようになってまだ3日なので仕方がないと言えば仕方がないのですが。


「前々から疑問に思っていたのだが───どうして君は私に弁当を作ってくるのかね」

「えっ?」


久瀬さんの言葉の意味を一瞬理解することが出来ませんでした。


「私にはどうもその理由が分からないのだが」

「そ、その…ご迷惑でしたか」


私は胸かからこみ上げてくる感情を抑えて訊ねます。


「いや、学食や売店などより余程栄養が取れるから、ありがたいとは思っている───だが」


嫌!! それ以上は聞きたくない。


「──っ、すみません、失礼します!!」


私は久瀬さんの制止の声を振り切って、生徒会室を駆け足で後にしました。










最初から分かっていたことではありました。

久瀬さんにとって私は所詮一生徒にしか過ぎないんです。

それでも、私は久瀬さんにとって特別な存在になりたいとあの時───初めての出会いの時から願っていました。

でも、久瀬さんから直接私に対する認識というものを聞いてしまうと……どうしても


「栞! どうしたの!?」


お姉ちゃんの緊迫した声が近くから聞こえます。


「──あなた泣いているの!?」


私の顔を見上げるようにお姉ちゃんは覗き込んできますが、私は自分の表情を見せないように顔をそらしました。


「……何でもないですよ。気にしないで下さい」


お姉ちゃんと顔をあわせることも出来ず、ただ下を見ながら答えます。その声は自分でも震えているのが分かりました。


「何でもない分けないでしょう!! …あいつね───あいつが泣かしたのね」


言葉から滲み出る怒りの感情。私は直ぐにお姉ちゃんが誰に対して怒っているのかを悟りました。


「お姉ちゃん、違うんだよ。あの人は何も悪くないの!」

「栞、嘘は言わなくても良いのよ───ちょっと、この学校の生徒会長と話をしてくるわ」

「お姉ちゃん、やめてください!!」


自分でも驚くぐらいの大声でお姉ちゃんを制止します。


「栞!?」

「───本当に何でもないんです」


私は結局、お姉ちゃんからも逃げ出してしまいました。


「ま、待ちなさい、栞!」


私はその声を振り切って、ただ前へ前へと走り出しました。










もう私は誰にも会わす顔がありません。

気がついたら私は屋上に来ていました。

そこは春の風で満ちている空間でした。まだ冷たさを残しながらも気持ちの良い風が私の頬を撫でます。


「良い天気ですね」


その声で初めて私の他にも誰かがいることに気づきました。


「あ、まの…さん?」

「はい、天野美汐ですよ」


目の前にいる女の子は私の友達の天野さんでした。


「私はお昼になるといつもこの場所に来るんですよ」


天野さんはゆっくりと私に語りかけるように話し出します。。


「ここは一番、空に近い場所───空の青が私の心を洗ってくれるようで、私はこの場所が好きなんです」


天野さんの言葉はどこか私の心を見透かしているように感じられました。


「──何か嫌なことがあったんでしょう」


天野さんは優しい、本当に優しい口調で私に語りかけてきます。


「えっ?」


───どうして、彼女には分かるの?───

でも、彼女は私の疑問には答えず、ただポツリと、


「綺麗な空ですね」


と言いました。

天野さんは空を見上げます。

私もそんな天野さんの動作に自然に、ごく自然に空を見上げ───目を奪われました。

そこにはとても青く、綺麗に澄み切った空が広がっていました。

その青空が何故か私の心に染み渡ってくるようで、私はいつしか涙を流していました。


「美坂さん」


空を見上げたまま天野さんが私の名を呼びます。


「私はあなたの笑顔が好きです───どうか笑ってください」

「──はいっ」


私は天野さんの言葉に笑顔で答えました。───そっと、涙を流しながら。


美坂さんの日記10


10日目<香里の日記>


私と栞との間には目に見えない隔たりのようなものが存在していた。

昨日から栞は私の顔を見るとあからさまに私を避けようとする。

私は私で栞と顔を会わせると気まずい雰囲気を生んでしまう。

このままではいけないことは分かっている。

──────だけど、あと一歩……あと一歩が踏み出せない。





今日、私は一人で登校していた。

───何と味気のない朝なのだろうか。

輝いていたいつもの風景は灰色に染まり、穏やかな朝の喧騒は無音に等しい。

ふと、隣に目をやってしまう。

今日、この場に栞がいないことは分かっている。────それでも何度も目がいってしまう。

そこには空白があった。栞一人が入れるだけの空白が。

───またあの日々を繰り返してしまうの?

私の脳裏には妹を拒絶し続けた自分の姿が悪夢のように再生される。

───いやっ! そんなのは嫌…

では、何故自分は動こうとしないの?

嫌なんだったら、自分から変えていけば良いのに。

──────理屈では分かっている。

でも、自分はそこから踏み出すことは出来ない。

所詮、私は臆病なのだと思う。

栞を拒絶したあの日から全く成長していない弱い人間、それが私。


今日だって、本当に些細なことで私は現実が怖くなってしまっている。

ただ、私があの男に対して怒って、栞に忠告をするだけで済む筈だった現実が崩れ去ってしまった。

───栞が本気で怒る姿を私はその時、初めて目の当たりにした。

今度こそ栞は私を許してはくれないかもしれない。

もちろん、そんなことがありえないことは分かっている。

あの子は優しいからいつかは私を許してくれるだろう。

でも、それこそ私の弱さ。相手の優しさに甘えている自分が憎かった。


私はどこまで莫迦なんだろうか。


栞を泣かせてしまった。

久瀬君に対して酷いことを言ってしまった。

…何があっても栞は守ると誓った自分が何をしているのだか。

───自己嫌悪する。

このまま消えてしまえればどんなに楽なのだろうか。

でも、それは出来ない。きっと栞が悲しむから。


「香里?」


控えめに私を呼ぶ声。私の意識は急速に現実で冷やされていく。


「……名雪」


親友が心配そうな顔で私を見つめていた。










「───そっか、そんなことがあったんだ」


私と名雪は学校から少し離れた場所にある小川に来ていた。

現時刻は10時5分。一限目が既に終わっている時間だろう。

どういうわけか名雪が自分からサボろうと言い出し、私はそれに反論するだけの力がなかったためこんな場所にいる。

──────そして、自然と私は昨日の出来事を話していた。


「香里、莫迦だよ」


名雪はゆっくりと間を置いてからそう告げる。


「───分かってるわよ」

「ううん、そっちじゃないよ」


そっち──多分、私が栞にしてしまったことだろう。


「嫌なことがあっても、すぐ、私に相談しない香里が莫迦だって言ったんだよ」


名雪は私の目を真っ直ぐに見て言う。そんな彼女の瞳があまりにも純粋で私は目をそらしたくなる。


「香里はね、私に悩み事があるときは聞いてくれるのに、自分のことになるといつも黙っちゃうんだよ。そんな風にされると私、香里に信頼されてないのかなぁ、って不安に思っちゃうよ」

「そ、そんなことはないわ! ただ…」


そう、それだけは違う。私は名雪のことは本当に───


「うん、分かってるよ。香里は私の親友だもん。信頼されてるかどうかぐらいは分かるよ。──でもね、栞ちゃんが大変だった時だって、香里は一人で悩んで、苦しんで…見ていて辛かったよ」

「名雪、気づいていたの!?」

「当たり前だよ。香里演技下手だもん」

「そっか……」


何故か私の心が軽くなっていくような気がする。


「香里、私を頼って欲しいなぁ。余計なお世話かもしれないけど、私は香里の力になりたい。───駄目かな?」

「……ありがとう、名雪。───本当にありがとう」


私にはこんな素敵な親友がいる。自分の瞳が潤んでいるのが分かる。

──ああ、私は本当に莫迦だ。何をやっているのだろう、美坂香里は。

──栞に謝らないと。まず、そこから始めよう。

そして、大切なことを思い出させてくれた親友にもう一度、感謝の言葉を。


「────ありがとう、名雪──」

「うん、どういたしましてだよ」


親友の笑顔は太陽みたいに暖かかった。



















追記:後に名雪は今日、学校が休みだという衝撃的事実を語る。


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