少女たちの夏 第三話





「ただいま〜」


玄関から名雪ののほほんとした声が聞こえる。
居間にあった時計を見ると12時ちょっと過ぎを指していた。
どうやら部活は午前中で終わったらしい。


ガチャッ


「──あ゛、お゛がえ゛り」


名雪が居間に入ってきたので、先ほどのあいさつに返してやる。
この辺は居候として、いや常識一般として、しっかりしておかなければならないところだろう。


「……お父さん、何やってるの?」


何故か名雪は訝しげな目で俺を見ていた。


「見て分からないか? 涼んでいる」


俺は扇風機にかじりつきながら(文字通り)、答えてやる。
自室にはまだ冷房装置になるものがなかったため、居間に唯一あった扇風機の前でだらーっ、と午前中を謳歌している最中だった。
うむ、涼しくて最高だ。
実はほんの少し暑いこととか、扇風機のかなり傍にいなければ効果がないと言うことはこの際気にしない。


「…………」

「どうした変な顔して?」


何故か名雪はあからさまに俺から目をそらして、複雑な表情をしていた。

───何と言うか、その、痛い人でも見るかのように。


「……あのね、何でお父さんはクーラーを使わないのかな、って───」

「……くーらー?」


そんな文明の利器なんてどこを探しても……
きょろきょろと部屋中を見渡してみる。


「どこにも無いぞ、そんなの」


たぶん名雪は暑さのせいでありもしない願望を現実だと錯覚したのだ。
まぁ、こいつも部活で疲れているんだろう。


「……お父さん、上。上を見てみて」


ちょんちょんと人差し指を上に向ける名雪。


「うえ…………っ!? な、なんだと……」


そこには白い四角のボディに包まれた文明の利器がどーんと存在していた。


「あのね、ここは毎年夏になると、とーっても暑くなる町なの。だから、ほとんどの家にはクーラーはつけられているんだよ」


昨日と同等の暑さを体感させてくれるこの気温。
それに対して、焼き石に水と言わんばかりに扇風機をフルパワーで回して、一人涼しさを満喫していた(気分の)奴がここに一人。

……もしかして、俺ってバカなのですか?


「───祐一さん、名雪。お昼ですよ」


台所から秋子さんの声が聞こえてくる。


「はーい、今行くよ〜。お父さんも行こっ」

「あ…ああ……」


何か……俺自身がどうしようなくいたたまれない。
俺は名雪に腕を引っ張られながら、心の中で泣いていた。










「美味しいですか」


秋子さんが暖かい笑顔を浮かべて尋ねてくる。


「はい、最高に美味しいですよ」

「良かったです」


俺がそう答えると、ますます笑顔を明るくする秋子さん。
やっぱり秋子さんは笑顔が一番だな。
ちなみに美味しいというは、叔母の笑顔が見たくて言った世辞ではない。
本当に美味かったからそう言っただけだ。
そもそも、俺は不味かったら不味いとはっきりと言う人間である。
ただ純粋に秋子さんの料理は美味かった。


「……ずずっ──」


最後の一口をすする。

───うん、やっぱり美味い。

この冷やし中華のさっぱり感がなんとも見事に夏とマッチしている。
味も俺好みだ。
昔も秋子さんの料理は美味いとは思っていたけど、これほどだったとは……。
正直、尊敬に値するだけの腕前だ。


「祐一さん。麦茶はいかがです?」

「あ、すいません。いただきます」


トクトクトク


冷たい麦茶がコップにつまれていく。


「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」


そのコップの冷感がなんとも手に気持ちいい。


「お母さん、私も麦茶欲しいな」


冷やし中華を半分くらいまで食べ終えた名雪は、空のコップを差し出して言う。
たぶんそれが名雪のマイコップなのだろう。
ディフォルメされたねこの絵柄が描かれていた。


トクトクトク


「はい、どうぞ」

「わぁ、ありがとうっ」


コクコク、コク


「うーん、美味しいよ」


そんなのんびりとした昼食の時間であった。










「お父さん。町を案内してあげるよ」


腹を休めるため、居間で休んでいた俺に名雪が言う。


「やだ。暑い」


居間はクーラーのおかげで十二分に涼しさを堪能できるんだ。
なんで今更外に何ぞ出ようか。


「ほらほら、良いから、良いから」


ずりずりずり、と引っ張られていく俺。


「待てっ! 暑いのは嫌だ〜」

「大丈夫だよ、お父さん」


根拠も何も無いじゃないか。


「俺が溶けたらどうするつもりだ」

「冷やして固めるから大丈夫だよ」

「…………」










そんなこんなで無理矢理外に連れて行かれる俺だった。
それにしても何て力だ、名雪。
俺は全力で外に出るのを拒んだはずだ。
それなのに、涼しい顔で引っ張っていく従姉妹の姿。
彼女は意外に怪力の持ち主らしい。



「ねぇ、外に出てみるとそれほど暑くないよね?」


にっこりと笑顔で名雪がそんなことを言う。


みーんみーん、みみん


セミの鳴き声がする。
よみがえるのは昨日のトラウマ。


むわーん


ジュージューと音をたてて熱さをアピールしているコンクリート。
その上では陽炎が歪んでいた。


………………














「帰る」

「えっ!?」










つづく