浩平の彼女さん










「なあ、茜」

都合により俺の隣の席に座る里村茜に声を掛ける。

「はい」

「あいつ、何をしているんだ?」

教壇近くにある扉を見つめる。
特別に観察しなくとも、大雑把に扉が開かれているのが分かる。
その隙間から見慣れた奴が教室内を覗いていた。

「……詩子の考えることは良く分かりません」

「お前でもそうなのか?」

「はい」

一応、茜とそこに居る変な奴──柚木詩子は幼馴染である。
その幼馴染があいつの行動を意味不明だと言っているのだ、まして数ヶ月ほどしか付き合っていない俺ごときでは奴の奇行を読むことなど出来ない。
つまり、あいつの行動は意味不明。
そういう結論が出た。

あっ、今目線が合った。
柚木が慌てて目を逸らせる。
しかも、そっぽを向きながら口笛を吹く真似事をしている。
微妙にムカつくな。
柚木が、また目線をこちらに戻す。
また目が合った。
今度は逸らさずにあいつがじーっと俺の瞳を見つめる。
俺も逸らしはしない。
じーっ。
何か意地の張り合いみたいになってきた。
目を逸らした方の負けとかそういうやつ。
ぽっ。
柚木が頬を赤らめる。
頬に両手を当てて、イヤイヤしている。
……似合わん。
見事なまでにあいつにはそんなしぐさは似合わん。

「茜、あいつをどうにかしてくれ」

「無理です」

忘れがちだが今は授業中である。
まぁ、ひげの授業だから適当になるのはある意味仕方がない。
だから、俺達は普段とあまり変わらないボリュームで話をしているのだが、さすがに授業中に立って、柚木の所まで行くのは難しいだろう。

「よしっ、七瀬、行けっ」

「何でよっ!」

高速で七瀬が俺の方に振り返る。
うむ、今の速度は世界を狙えるぞ。

「んあー、七瀬、どうした?」

七瀬の大声にひげが反応を示す。

「あ、……何でもありません」

「そうか」

ひげが授業を再開する。

「……あんたのせいで、恥かいちゃったじゃない」

小声で七瀬が話しかけてくる。

「え? 何だって!?」

「ば、ばかっ。大きな声出さないでよ」

怒鳴りながらも七瀬は小声である。
器用な奴だ。

「先生っ!」

「何だー、折原?」


「七瀬さん、腹痛いんでトイレ行きたいそうです!!」

「──何言ってんのよ、あんたはっ!!」


「んあー、七瀬、我慢しなくてもいいぞ、トイレ行ってきなさい」

「良かったな、七瀬。先生から許しが出たぞ」

教室の到る所から、笑い声が聞こえる。

「くっ、……あんた、覚えてなさいよ……」

それでも、律儀にトイレへ向かう七瀬は偉いと思う。

「あ、七瀬。柚木に何をしているのか聞いてきてくれないか」

「自分でやれっ! バカッ!」

半泣きの七瀬が教室から出て行く。
むっ。
七瀬の奴、後ろの扉から出て行ってしまった。

「茜、七瀬は駄目だった」

「……浩平、酷いです」

微かに茜に非難の目を向けられているような気がする。

「次の手を考えるか」

俺は気にしなかった。
さすが俺だね。

柚木が熱い視線を俺達に向けてくる。
と言うか、ひげ、気付けよ。
丸見えだろ、あいつ。
クラスのほとんどの奴も柚木のことをちらちら気にしているし。

そう言えば、あいつはいつからあそこに居るんだ?
確か、朝は居なかったよな。
まぁ、惰眠を貪っていたから何とも言えないところがあるんだが。

「なぁ、あいつと朝は一緒だったか?」

「はい、詩子と登校してきました」

と言うか、柚木、お前は自分の学校に行く気が無いのか?

「あいつ、その時、何か変じゃなかったか?」

もっとも、あいつはいつも変だけどな。

「……普通でした」

「そうか」

うーん、よく分からん。
でも、どうしても柚木の視線が気になる。

「……そう言えば」

「ん?」

茜が何かを思い出したのだろうか?

「朝、詩子にあだ名を付けようとしたんです」

「はぁ?」

いきなり何を言っているんだ。

「そうしたら、詩子が『茜のばかーーー』と言って、どこかに行ってしまいました」

それ原因だろ。
よくよく観察すると、柚木は茜の表情を伺っているじゃないか。
問題解決。

「なぁ、参考までに聞くけど、何てあだ名を付けようとしたんだ」

「チョロQです」

「……何だって?」

耳がおかしくなったんだろうか。

「チョロQです」

ああ、俺の耳がおかしいんじゃないのか。

「……なぁ、茜」

「はい」

「何でチョロQ?」

「詩子は動き出したら止まりません」

「ああ、そうだな」

あいつの暴走っぷりはいつも見ているからよく分かる。
それで?

「だからチョロQです」

「待て、待て」

確かにチョロQも動き出したら止まらないだろうけどさ、理由それだけか?
お前達は長い付き合いの幼馴染なんだろう?
もう少し何かあるだろ?

「背中に十円玉を付けたら、ウイリー走行が可能です」

「……あの、茜さん……?」

「詩子はブルバックエンジンを搭載しています」

やばい、茜が壊れた。

「冗談です」

さらっとそんなことを言う。

「……心臓に悪いことするなよ」

本当に茜が壊れたかと思ったぞ。

「でも、チョロQは本気です」

やっぱり、壊れてるよ。

「茜、保健室行くか?」

「私は健康です」

「いや、何かに犯されてるかもしれないって」

主に脳が

「……そうですね」

自覚症状ありか?

「これは恋と言うもののせいなのでしょう」

うわぁー、うわぁ、台詞くさいし、茜らしくないし。

「やっぱり、病院行こう、病院」

「──あんたが行けっ!!」

おわっ、七瀬が帰ってきた。

「七瀬、快調か?」

「殺すわよ、あんた……」

七瀬が不機嫌に自分の席へ着く。
軽い冗談なのにな。
まぁ、七瀬はとりあえずほっといて。

「茜、もしかして性格変わったか?」

明るくなったなら良いのだが。
変な方向に進んでいるような気もする。

「自覚はありません」

「いや、多分変わったぞ」

「……そうですか?」

「ああ」

「でも、『こうくん、私ね、私ね、お弁当作ってきたんだよ。ねぇ、ねぇ、食べてよ。うふふ、こうくん好きっ(ハート)』みたいなことは言いませんが」

……頼むから、無表情棒読みでそんな台詞を言うのは止めてくれ。

「なぁ、茜、病院行こうぜ。今なら間に合うかもしれない」

切に俺は訴えた。
自分の彼女が壊れていく姿なんて見たくなかったから。

「私は健康です。心配は要りません」

茜はこう見えて結構頑固だ。
仕方が無い、ここはあいつに力を貸してもらおう。
柚木の方を見る。
アイメッセージを送る。
柚木が親指を立てて、メッセージが届いたことを伝えてくれる。
どこから取り出したのかスケッチブックとマジックを取り出して、何やら書いている。
つうか、あれ澪のだろ。

『私はりんごの方が好きかな』

あー、あいつじゃ駄目だな。
柚木を当てにしたのが間違いだった。

少し考えてみる。
…………ショック療法。
どんな思考回路を通り過ぎて、それが出てきたのかは謎だが、それでいこう。

「七瀬!!」

「こんどは何よ……」

泣きそうな声で七瀬が俺を見る。
もう止めてよ、と目が訴えかけていた。
悪いな、七瀬。
茜の為なんだ。


「好きだっ!!」


「……………………は?」


「付き合ってくれ!!」


わーーーーー

教室中がざわめく。

「な、ななななな、なっ、何言ってるのよ、あんたっ!!」

めちゃくちゃ七瀬が動揺していた。

「大丈夫だ、俺達相性が良いから。たぶん」

「お、おおおおおお、折原……あ、あう、あう……」

七瀬の言葉は言葉になっていない。

その横では。

「……浩平、二股ですか?」

心底、茜が機嫌悪そうにしていた。
悪い、茜。
お前の為なんだ。

「……分かりました。私にも考えがあります」

茜がゆっくりと立ち上がる。
ちなみに茜はこのクラスでも目立たない部類に属す生徒だ。
そんな彼女が今、クラス中の視線を浴びている。

「詩子」

茜の声にクラスの皆は一斉に扉の方を向いた。
そこにはもちろん柚木が居る。
当の本人は唖然とした表情をしていた。
多分、こんな茜の姿を見るのは初めてなのだろう。
俺だって、かなりビビッテいる。

「好きです、愛しています」

クラス中から黄色い歓声が上がる。
もはや、誰も授業のことなど気にしていない。

チョ詩子、私と付き合ってください」

今、チョって言った。
絶対チョロQって言おうとした。

「えっ、茜……?」

さすがの柚木もこの流れについていけていないようだ。
俺だって、何が何だか分からない。

だが、柚木の適応性は俺の想像を超えていた。
柚木がしばらくの間、茜を見つめて、頬を染める。
何か恍惚としていませんか?

「はい、末永くお願いします」

茜だけではなく、柚木もいつも以上におかしいようだった。

チョロ……詩子」

「茜」

幼馴染同士が見つめ合う。
そこの二人、変な雰囲気を作るな。
あと、茜、チョロQって言うな。

「折原、これどうなってるの?」

七瀬が何がなにやらという表情で俺を見つめている。
先ほど俺が告白したことさえ、この二人のインパクトにより消されているようだ。

「分からん」

横で茜がふふんどうですか? と言った表情をしていた。
どうやら、俺は自分の彼女に勝つことは出来なさそうだ。





ちなみにこの事態を収拾するのに約一週間の月日が必要だった。
俺、個人としてはよくそれだけの期間で元に戻ったなと思う。





何はともあれ、俺と茜の日常はいつもこんな風に過ぎていく。
これはこれで幸せなのかもしれないと思う、俺だった。