ある人物の心情(広瀬真希編)





(…イライラする)


ここのところ毎日のように感じている苛立ち。それは解消されることなく少女の心の大部分を占めている。

例えば、人は自分と似ている人間に対してあまり好感は抱かないらしい。それは無意識による自己防衛衝動の一つだそうだ。もちろん、全ての人がそうであるわけではない。だが、該当する者も多いことも確かだ。───この少女のように。


(イライラする)


少女は普段は絶対に立ち入らないであろう、路地裏のように人気の無い場所を歩いていた。
このくすぶった感情を静めるために少女が新たなる環境を求めたのがその理由。

失敗だった、と少女は思う。
感情は解消されるわけでもなく、逆に蓄積していくばかりであった。
それは薄暗く、鮮やかなものの一切ないこの環境が少女の心を象徴しているかのようにも見えるからだろうか。


(……もっと酷い洗礼をしなきゃ、気が収まらない)


ツインテールの転校生の姿を思い描きながら、少女は黒い思考を広げていく。


(そうね、画鋲なんて生ぬるいわ。精神をもっと、もっと痛めつけなきゃ)


不敵に顔が歪む。
少女は転校生に偽りの姿を見ていた。無理に自分を可愛く見せるための偽り。それを少女が見抜いたときにはどうしようもなく許せなかった。それは直情であって理由はない。いや、少女が気付いていないだけであって理由は存在する。
少女と転校生はあまりにも似すぎている、と言う理由が。

そんな思考にいつの間にか夢中になっていたからだろうか、少女は目の前にいる複数の人影に気付くのが遅れた。


「───あっ」


痛みを感じたときには、少女の右手が一つの人影に押さえつけられていた。


「キミ可愛いね」


素直に耳障りな声だと少女は思った。


「やっ、───放してよ!」

「そんなこと言わないでさぁ、一緒に遊ぼうよ」


少女はそれの手を解くように暴れてみせるが、少女の腕から微動だにしない。


(──最悪だ)


周りは4人の男達に囲まれている。仮に、運良く束縛から解放されたとしても、逃げることは不可能に近いことだろう。
蔑んだような、それでいて何か期待に満ちたような笑み。それが男達に共通している目障りな部分。


「さあ、付き合っ───ぐえっ」


腕に加わる力が強くなったかと思ったら、一瞬にして力が弱まり男の手が解かれる。


「えっ?」


少女の腕を束縛していた男が地面に吸い寄せられるかのように倒れている。
何が起こったのか分からない。だが、男達に少なからず動揺が広まっていくのも事実。


(……もしかしてこれはチャンスかも)


何も考えずに逃げ出そうと、少女は足を前へと出した。


ガクン


想像以上に恐怖していたのか少女は足元からくずおれてしまう。それでも腕だけで前へ進もうとする。

───だが、逃げれないのではないか、と言う考えが頭を過ぎる。

案の定、男の一人が手を伸ばして少女を捕まえようとしていた。


パーン


この場に似つかわしくない小気味の良い音が響き渡る。
前のめりに倒れる男。それと同時に同様の音が連続して聞こえる。


(……だれ?)


少女の瞳には男達を文字通り倒していく女性の姿があった。その姿は神速のように速く、瞳では完全に捉え切れない。
だがそれでも、少女はなびく様な黒髪から女性と判断し、純粋にその姿を美しいと形容した。
まさにその女性は風だった。自分を救ってくれる頼もしい一陣の風。──少女は一瞬でその姿に見惚れていた。


音が鳴り止んだときには男達全員が地に伏し、事は全て終わっていた。
だが、少女はその事実すら忘れて女性を目で追っていた。
そして、一人の女性の姿を捉える。


「……なっ」


言葉が思わず詰まる。
少女にとってそれは有り得ない事態だった。


「……ななせ…さん?」


驚きでそれ以上の言葉は出てこない。目の前にいる女性は紛れも無く少女が嫌悪していた女性。


「…怪我は無い? 広瀬さん」


竹刀を携えた転校生が少女の窮地を救っていた。




















安心させるかのように少女に対して暖かい笑顔を浮かべている留美。それは少々ぎこちない笑みではあったが、確かに効果はあった。
その証拠に───広瀬真希の思考が目まぐるしく変化している。
驚き、疑問、安心、脱力、信頼、友情、愛情、憧れ
それが彼女が目の前にいる人物に抱いた感情の推移。それを一瞬で頭の中で行い、目の前の七瀬留美と言う女性を見る。

じーっと見る。
じーっと見る。
じーっと見る。
じーっと見つめる。
じーっと見つめる。

───気のせいか真希の瞳は微妙な熱を帯びている。


「…あ、あの広瀬さん?」


戸惑ったような留美の言葉。それでも真希は彼女を見つめることを止めない。


「…だ、大丈夫?」


困ったような戸惑ったような表情で留美は訊ねる。その声でやっと我に帰ったのか、真希は瞳の色を戻す。


「…はい………大丈夫です」

「そ、そう、良かった」


妙にしおらしい真希の言葉に留美は戸惑いを隠しきれない。
それももっともなこと、彼女は真希に洗礼と称したいじめを毎日受けていたのだから。
一瞬、留美は疑問を浮かべたが、直ぐに他の思考へと移行させる。


「…ええと、広瀬さん。それじゃあ、早い所ここから離れましょう」


真剣な表情で留美は言う。
いつ倒れている男達が目を覚ますか分からない、それを危惧しての判断だった。──だったのだが、真希にとってはその言葉よりも留美の表情の方に注意がいっていた。

……もはや、真希は留美に対して憧れまで抱いてしまっている。そんな彼女が目の前の人物の凛々しい表情を見たらどう思うだろうか。

結果として───真希の瞳は妖しく潤んでいた。


「はい………お姉様」

「え゛……?」


留美はその場で動きを止めた。