「ただいま〜」

どこかのんびりとした雰囲気を漂わせた声が玄関から聞こえてくる。
俺は少し待っていて下さい、と告げて玄関の鍵を開ける。

───目の前には雰囲気の良く似ている二人の女性が両手いっぱいの荷物を持って立っていた。
その2人の女性──先ほどの声の主とこの家の家主の姿を見るのは約一週間ぶりであろうか───俺は出来るだけ自然に見えるように笑顔を浮かべて2人を迎える。

「お帰りなさい、秋子さん、それに名雪」
「ただいま、祐一さん。……長い間、留守にしていて申し訳ありませんでした」

そう言って、家主──秋子さんが深々と頭を下げる。

「あっ…いえ、気にしないで下さいよ。それよりも親子水入らずの旅行はどうでしたか?」
「うん、楽しかったよ」

秋子さんの代わりに隣に居た名雪が満面の笑みと共に答える。───以前よりも彼女の笑顔がやわらかくなっているような気がする。あくまで感覚的なものなので気のせいかもしれないが。
それは置いておいて、俺はそこにいる従姉妹の少女に伝えなければいけないことがあった。───現実と言うものを。

「───それは良かった。だけどな、名雪…実はお前の出席日数がやばいということに気がついているか」

一瞬の間。

「あれ?…どうしよう」

笑顔そのまま、これっぽちも困っていないような口調で名雪は答える。
……こいつに危機感などと言うものはあるのだろうか?
疑問に思ってしまう。本気で

「はぁ…」

俺はため息を一つ漏らす。

「まぁ、あと2ヶ月程で終了式だし遅刻と欠席さえしなければ何とかなるんじゃないか」

名雪と言う異常性を今まで見てきていたためか、内心で呆れつつも自然とそんな言葉が出てくる。

「──う、うん。そうだよね」

やはり変わらない笑顔で名雪は答える。
───頼むから、少しは危機感をもってくれ…。

「ところで真琴はアルバイトですか?」

そんな俺の心の呟きを他所に秋子さんが質問をしてくる。
それにしてもこの人も動じない人だよな。娘の進級が危ういというのに…。まぁ、秋子さんのことだから名雪のことを信頼していて、あえて何も言わないのかもしれない。

「ええ、どうも最近忙しいようですよ、あいつ」

俺は答える。ちなみに真琴のアルバイトというのはコンビニの店員である。以外と真琴は上手くやっているようで、今のように仕事を回されて忙しいという状況も多いらしい。

「そうですか──」

秋子さんは少し残念そうな表情を見せる。
───っと、それよりも

「とりあえず、家の中に入ってください、秋子さん」

さすがに家主の秋子さんにずっと玄関に居られると都合が悪かった。




































「祐一の彼女さん その9」

Written by kio











いつもの朝、俺は名雪と久しぶりに2人で学校へ登校した。

「おはよう、香里」

教室の中には既に名雪の親友の美坂香里の姿があった。
彼女は名雪の声に反応して文庫本に向けていた視線をこちらへと向ける。───そして、凍りついた。

「………」

きっかり5秒後、彼女の時は動き出す。

「!? な、名雪──なの?」
「うん、久しぶりだよ〜」

香里の過剰な反応にも何のその、名雪は普通に会話を始める。香里は目を白黒させて名雪の話に何とか相槌を打っていた。

俺たちが自分の席に座ったのとほぼ同時に一人の男子生徒がやってくる。
その男子生徒はいつものように朝のあいさつをして教室に入ろうとしていたのか、軽く右手を挙げて───俺に視線を向け、自然と俺の隣の席へ。

「み、水瀬!?」

男子生徒──一応友人の北川潤は右手を不自然に上に挙げた状態で俺たち、主に名雪を凝視する。

「…お前ら凄い反応だな」

さすがに2人の反応の大袈裟ぶりに俺は呆れる。…ちなみに俺も同じ状況だったら、2人と同様のリアクションをとっていただろう。

「名雪、あなた今までどこに行ってたのよ」

俺の言葉は無視して、やっと我に帰った香里が名雪に質問をぶつける。何故かその声には覇気がない。
名雪は人差し指を唇に当てて少し考える素振りを見せ、答える。

「ええとね、南だよ」
「南? 南のどこよ」
「うん、南だよ」

はっきり言って、名雪の説明は説明になっていない。
だが、俺もどこに行っていたのか、と聞いたときも名雪と秋子さんは『南』としか答えてくれなかった。
そこに何か言い知れぬものを感じるが、あの秋子さんまでもが茶を濁しているため深くは言及できなかった。

「はぁ、まぁいいわ。それよりも出席日数がギリギリよ、名雪」

香里もそんな名雪の態度に諦めたのか、名雪にとっての最優先事項を告げる。

「…うん、祐一にも聞いたよ」

そして、それは今日から即実行となった。

「つまり、名雪はこれからも遅刻はしないのね」

少し疑惑に満ちた眼差しで名雪を見つめる香里。

「いや、別にしても良いんだけど───そうすればこいつは後輩になるわけだし」

俺は意地悪気味に香里の言葉に続ける。

「うぅ、そんなの嫌だよ」

さすがの名雪もそういうことは気にするらしい。

「ところで名雪は昨日何時に寝たの?」
「ええとな、6時半だ」

香里の質問に何故か俺が答える。……何故だ? 自分でも分からなかった。

「!? よ、よく聞こえなかったんだけど」

まぁ、驚くよな。香里の今の感情を用意に俺は理解する。

「──6時半、普通の奴だったら眠気すら起きない時間にこいつは寝てるんだよ」

昨日の名雪は夕食を食べたら、直ぐに床についてしまっていた。──もう学校に遅刻できないんだよ〜、と緊張感なく名雪は寝る前に告げていたような気がする。

「……」

香里は開いた口が塞がらないと言った様子で名雪を見つめていた。

「……さあ、今日の授業の予習でもするかな」

さっきから無言だった、男子生徒がいそいそと鞄から何かの教科書を出そうとしていた。
───北川、頼むから現実逃避するな。…何か悲しくなるから。















午前中の授業を消化して、やっと昼休みを迎える。ちなみに名雪は前までと変わらず寝たり起きたりを繰り返して、授業を受けていた。

キーンコーンカーンコーン

午前の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
俺はいそいそと教科書をしまって、出来る限り早く教室を出ていこうと試みる。
あいつよりも早くしないと。
そんな感情を心の中に抱きながら、教室の扉に触れる───が遅かったようです。

「やっほー、祐一」

元気はつらつとした上級生の女子生徒が俺とコンマ数秒の違いでドアを開けていた。
──いつも疑問に思うが、何故彼女はこの時間に来れるのだろう? 俺の教室と彼女の教室は結構な距離があるはずなのだが。
とにかく、そこには俺の彼女の川澄舞さんがいた。

「祐一、お腹すいたね」
「ああ、分かったから、行くぞ」

俺は舞の手を引いて、教室を出て行こうとする。
その前にとりあえず、美坂チームの方々にその旨を伝えておく。

「あ、えっと、俺は行ってくる。それじゃあな」
「おう、了解だ」















相沢くんが川澄先輩を連れて教室から出て行った。
その光景は最近ではごく自然なものとしてこのクラス内では受け止められていた。要するに皆、毎日のように見る光景に慣れたのだ。
……ええと、何かを忘れているような。
少し考えてみる。
うーん、最近と今日の相違点は……

──そうだわ、名雪を止めないと!!
最近の名雪の居ない学園生活に慣れていたため、すっかり忘れていたけど私の親友は相沢くんと川澄先輩が一緒にいるのを目撃すると暴走を始める。
それもある意味狂気にも似た暴走を。

「──北川くん!!」

私はとっさに叫ぶ。
北川くんも心得たもので、頷き、注意を名雪に向けて彼女の暴走に備える。

1秒、2秒、3秒
緊迫した時間がこの場を支配する。
久しぶりなためか私と北川くんは軽く脂汗のようなものを流している。

そして、名雪に動きが見られた!

「香里、北川くん。学食に行こう」
「「えっ!?」」

予想外の言葉に私と北川くんはあっけにとられた。

「私、お腹すいちゃったよ。久しぶりにAランチが食べたいなぁ」
「…ああ、そうだな。学食行くか」

北川くんは驚きつつも名雪の話に合わせて席を立つ。

「美坂も学食だよな」
「えぇ、そうね……」

何事もなかったことに拍子抜けしたためか、力なく私は答えて席を立った。










名雪が幸せそうにAランチを食べている。私と北川くんは既に注文したものを食べ終わっていたため名雪待ちということになっていた。

「イチゴムース美味しいよ〜」

今日の名雪はどこか違う。
私は漠然としながらもそんなことを考えていた。たしかに幸せそうにイチゴムースを食べる姿とか、相変わらず食を進めるペースが遅いところとかは変わらないけど、何かが根本的に違うような気がする。
1週間も彼女と会っていなかったからそう感じてしまうのか。……たぶん違う。でも、名雪の変化はその一週間の間にあったと考えても良いと思う。
───それじゃあ、具体的に名雪の何が違うのか?
やはりそれは彼女の雰囲気だろう。さっきのこともそうだけど、名雪のおっとりとした性格がさらに度を増したような感じがする。でも、それ以上に何か……

「ねぇ、名雪」
「なに? 香里」
「もしかして、あなた変わった?」

単刀直入に聞いてみることにした。

「えっ? 何の話」
「いえ…ね。何となくあなたの雰囲気と行動とかが前までと違うなって思ったから」

名雪は結構鈍感だから、少し具体性を増して付け足してみる。

「うわぁ! 凄いね香里。よく分かったね」

……誰だって気づくわよ。
その証拠に。

「北川くんも気づいていたよね」
「ん、ああ、気づいていたぞ」

北川くんは首を縦に振って同意する。

「そうだったんだ!?」

そう言って、名雪は感心しているような驚いているような表情を見せる。どうやら彼女は本当に気づいていなかったらしい。まぁ、名雪らしいと言えばらしいのでしょうけど。

「それで、動機は?」

質問が少し変な気もするが、意味は十分に伝わるだろう。もっとも名雪がそれを話してくれるかは分からないけど。

「──ううんとね、私気づいたんだ」
「気づいていた? 何に?」

名雪はどうやら自分が変わった理由を話してくれるらしい。私は質問を出来るだけ簡潔で的確にして、聞きにまわる。

「今まで私は祐一と舞さんの仲を嫉妬していた。…やっぱり7年間も想い続けていた人をとられたのは悔しいよ。でもね、嫉妬しているだけじゃ、祐一の心を動かすことは出来ないの」

名雪は少し恥ずかしげに頬を染めて、目線を私からずらす。

「だからね、私は祐一が振り向いてくれるぐらい素敵な女の子になろうと思ったんだ」

ああ、そう言うことだったのね。
私は妙に納得してしまった。同時に名雪のことが少し羨ましく思った。
これほど一途に誰かを想う事が出来て、その人のために自分を変えることが出来るなんて……なんかとっても女の子をしているような気がする。

「そう、なんだ」

私は正直、名雪のような想いを誰かに抱いてみたい、そう思った。
でも、自分の柄じゃないような気がする。
とたんにそんな考えを抱いていた自分が恥ずかしくなって、私は真っ赤になってしまった。

「どうしたの? 2人とも真っ赤だよ」

2人とも真っ赤?
名雪の言葉に私は隣に目を向ける。すると北川くんが顔を真っ赤にして俯いていた。

「あの…北川くん?」

何故北川くんが顔を赤くしているのだろう?
私も顔を赤くしている手前、ばつが悪いような気がしたが北川くんに話し掛けてみる。

すると、北川くんはビクッと体を震わせて、

「え、ええと、美坂チーム退散だぁー」

と言って、一目散に学食を出て行こうとする。

「ちょ、ちょっと、北川くん!」

一人で帰ろうとする北川くんを止めようと制止の声を挙げるが、聞こえていないようだ。
彼は何故か人やテーブルなど、様々なものにぶつかりながら去っていく。そして、何かにぶつかっては頭を下げ、ぶつかっては謝るを繰り返しながら出て行ってしまった。

「………」

その光景に呆然としてしまう。

不意に、

「──くすっ」

と私の口は笑みを漏らしていた。。

「──香里」

名雪も笑みを見せながら、話し掛けてくる。

「なに?」

「北川くんって、面白い人だよね」
「──そうね」

そう、北川くんは面白い人なのだと思う。そして、純粋で良い人でもあると思う。───だから、彼がさっき顔を赤くした理由も何となく分かった。





「ねぇ、香里」

名雪がイチゴムースを食べ終わり、私たちも学食を出ようとするところで名雪がそっと話し掛けてくる。

「なに? 名雪」

自然と私の口調も優しいものになる。

「私ね、頑張るよ。祐一に振り向いてもらえるように」

「ええ、応援してるわよ」

私は心の底から親友を応援したいと思った。



































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