私だけがいつも蚊帳の外だった。

 始まりは小さな嫉妬だった。
 長い、本当に長い間待ち望んでいた従兄弟との再会。
 彼は初恋の人で、今も続くこの恋情の相手だった。
 だから、私の胸はどうしようもないほど高鳴って、数年ぶりに見る彼の姿はとても輝いているように見えた。
 記憶の中にある幼い頃の彼とは見違えてしまっていて、だけど、彼は確かに彼で。
 声を掛けるのにとても勇気が必要だったけど、すぐに私たちは過去の私たちになれて。
 この日から大切な人との幸せな日々が続くと、私は信じてやまなかった。

 その期待が私の描いた夢物語だと知ったのは、再会から数日経った日のこと。
 彼と同時期に転校して来た七瀬さんがそのきっかけだった。
 転校生同士と言うことも手伝ってか、彼と七瀬さんは出会って間もなく打ち解けているように見えた。
 それはあくまでもクラスの友人同士の付き合い程度で、私はさして気にも留めていなかった。
 でも、ある日を境に二人の関係は変わってしまったように思う。
 互いに互いを信頼している、例えば親友のような関係に。
 彼のことを一心に見つめてきた私には分かる。
 私では割って入ることができない強固な関係で二人は結ばれてしまったんだ。

 その事実に私は嫉妬し、小さな疎外感を覚えた。

 でも、そんな醜い感情を意識している暇もなく、彼の周りでは何かが目まぐるしく動いていた。

 異変は彼と香里との関係の悪化から始まっていたのだと思う。
 珍しく学校を休んだ親友から彼の下へと一本の電話が届く。
 そして、その次の日から二人の関係は激変していた。
 普段感情をあまり表に見せない香里なのに、彼の前でだけは明らかな嫌悪の表情を見せていた。
 あの日、二人の間でどんな話がなされ、どんなことがあったのか私には分からない。
 だけど、一番の親友と大切な従兄弟が仲違いしている事実は、私を酷く悲しくさせた。
 勇気を持って、私は彼に香里とのことを訊ねてみる。
 出切ることなら、二人の力になりたかった。
 そして、二人を仲直りさせたかった。
 だけど、彼はあの時から見せるようになった儚げな笑顔と共に、やんわりとした拒絶の言葉を口にした。

 私は彼の力になることもできなかった。
 そして、小さな疎外感が少しだけ膨らんだ。

 彼と香里との仲は日に日に悪化していった。
 無力な私はそんな彼の姿を見ていることしかできなかった。
 それなのに、七瀬さんだけは彼と対等の立場で居られているように見えた。
 おかしいよ……。
 本当はその場所に居るのは私のはずなんだよ……?
 そして、気が付けば彼の下には二人の先輩が居た。
 どんどん、どんどん私の居場所が彼の下から消え去っていく。
 それなのに、その場所には私ではない誰かが立っていて。
 惨めだった。
 見ていることしかできない私が酷く惨めだった。

 私が何も知ることなく、彼の周りでは様々なことが起こっていく。
 その度に彼はその感情を吐露させることなく、気丈な姿で前を向いていた。
 私はそんな彼を支えてあげることができない。
 手を差し伸べてあげる権利さえないのだ。
 私は気付くのが遅すぎた。
 彼のことをいつも見ていたはずなのに、肝心なことに何一つ気付くことはできていなかった。
 だから、私は彼の下に居ることができなかったんだ。
 それに気付いていたからこそ、七瀬さんはあの距離に立っている。
 彼と仲直りをした香里だってあの位置に居る。
 私はずっと先を走る彼女たちの背中を追うことさえできないで、何週も周回遅れでとても後ろの方を走っている。

 だから、現在の私と彼との関係を嘆くことさえ、私には許されない。
 全ては自分が招いた結果なのだから。

 ただの同居人として、私は彼の隣に存在している。
 近くに居るのに、彼はとても遠い。
 表面上はとても近くに居ても、実際は違ってしまっている。
 手を伸ばしても、決して届かない距離に彼は居る。


 完全に蚊帳の外、疎外されてしまった私がここに居る。

 悔しい……!
 本当の意味で彼の傍に居続ける彼女たちへ、ではない。
 不甲斐ない自分が、彼を支えることができない自分が悔しいっ!!

 ……私だって、私だって! 祐一の傍に居たいよっ!!

 いつだって、傷ついた祐一を見るのは辛いよ!
 苦しいよ!
 心がどうにかなりそうなくらいに悲しいよ!
 ……でも、何よりも辛いのはそんな祐一を慰めてあげることもできない自分自身。
 惨め。
 とても惨めだね、私……。










 多分、私は限界だったんだと思う。



















伝わる想い 第四十八話「崩壊」

Written by kio









「え……?」

 石橋先生が何を言ったのか理解出来ない。
 その言葉がどこか遠くの異国の言葉にしか聞こえない。
 私の耳に意味を伴って伝えてくれない。
 私は縋るように隣に居る従兄弟の顔を見る。
 怖い顔をしていた。
 何かの感情を抑えるかのように、今まで見せたこともないくらいに怖い顔をしていた。
 何でそんな顔をしているの、祐一?
 理解出来ない。
 全然分からないよ、祐一。
 私たちはただ、校内放送で先生に呼ばれたからここに居るだけでしょ?
 別に私、悪いことはしていないよ。
 遅刻が多いって言うなら、明日からは直すから。
 だから、だから、……そんな怖い顔をしないでよ、祐一。
 先生も難しそうな顔しないで、笑って。
 ねぇ、笑ってよ。

「すぐに車を用意するから、水瀬と相沢は玄関で待っていてくれ」
「……分かりました」

 車? 先生は何を言っているんだろう?
 今度は異国の言葉じゃないけど、やっぱり意味が分からない。

「名雪、とりあえず玄関まで出よう。歩けるか?」

 え? うん。歩けるよ。だって、私陸上部の部長さんだから。
 走ることもできるよ。走れば良いかな? よく分からないけど。

「大丈夫、俺が傍に居る」

 わっ、嬉しいよ、祐一。
 私の気持ちようやく通じたのかな?

「大丈夫、きっと大丈夫だ」

 何で自分に言い聞かせるような言い方なのかな?
 祐一、変だよ。

「────さんはきっと大丈夫だ」

 あれ? 変だな。
 ノイズみないなのが入って、ちゃんと聞こえなかったよ、祐一の声。
 あれ? やっぱり、変だよ。
 だって、祐一の顔が段々白く……。

「──名雪っ!」

 私の意識はそこで途切れた。










「うん、大丈夫」

 祐一が何度も私に『大丈夫か?』と訊ねてくるから私は大丈夫だと答えた。
 私は車に乗っている。よく分からないけど。
 運転手は石橋先生。
 後部座席に私と祐一は座っている。
 さっきは一瞬だけめまいみたいに意識が途切れたけど、すぐに回復して私は車に乗っている。
 なんで車に乗っているんだっけ?
 よく分からないよ。
 でも、隣に祐一が居るからどうでも良いかも。
 だって、さっきから祐一、私の手を握って離してくれないんだよ。
 幸せだな。

 カタカタ

 小さくカタカタと言う音が聞こえる。
 変だな、どこから音がするんだろう。
 祐一が私の手をさらにぎゅっと握ってきた。
 それで、大丈夫大丈夫と連呼している。
 祐一、変だよ。
 私は大丈夫だよ。
 何でそんなに心配しているの。

 カタカタ

 変だなまた音が聞こえる。
 さっきからずっと絶え間なく小さな音が聞こえ続けている。

「……ぇ……」

 『ねぇ、祐一、何の音だろう?』そう口にしようと思った。
 だけど、洩れたのは声とも言えない声。
 口が上手く動いてくれない。

 カタカタ

 そして、気付く。
 私の口の中で、歯と歯が忙しなくぶつかり続けている。
 カタカタと言う妙な音を発しながら。
 しかも、震えているのは口の中だけではなくて、身体全体が小刻みに震え続けている。

 何故と言う疑問が浮かぶのと同時に、車が止まる。
 目の前には──。

「びょう、い、ん……?」

 気持ち悪い。
 目の前の白い建物がどうしようもなく気持ち悪い。
 目眩がする。吐き気がする。
 行きたくない。
 その建物の中に入りたくない。
 イヤ嫌嫌嫌イヤ嫌イヤ。
 祐一、私の手を引かないで。
 私は車から出たくない!
 イヤッ!! 入りたくない!

 心情とは反対に私の足は祐一に連れられて、その建物の中へと向かっていく。
 微かな望みを信じているのかもしれない。
 ──微かな望みって何!?
 嫌っ、その白い建物の中に入りたくなんてない!
 イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ。










 気がつけば私はフカフカのソファに腰掛けていた。
 あれからどれだけの時間が流れたのだろうか。
 石橋先生の姿はもうない。
 隣では祐一が変わらず私の手を握り続けていた。
 ──思考の限界まで到達した私は、正気を取り戻していた。
 暴れた記憶も抵抗した記憶もなかったから、きっとそれは私の内面だけで行われたことなのだろう。
 だから、祐一からは私の様子に変化など見られはしなかったのかもしれない。

 ここは病院。
 私がここに居る理由は……。

『水瀬のお母さんが交通事故に遭って、病院に運ばれた』

 ──っ!!?
 その言葉が脳裏に蘇り、私は一瞬、目を見開く。
 お母さん……お母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さんお母さん。
 身体がまたカタカタと震え始める。
 お母さん。
 手術。
 どうしよう。
 どうしよう。
 お母さん。
 お母さん。
 ぎゅっと祐一が少し力を入れて、私の手を握ってくる。
 大丈夫だ、そう言っているような気がした。
 大丈夫、うん大丈夫。
 お母さんは大丈夫。
 だって、お母さんだもん。
 大丈夫に決まっている。


 どれだけ待ち続けたのかは分からない。
 だけど、ようやく手術は終わったのか、待合室に白衣の男の人が入ってくる。

「お、お母さんは!!」

 縋るように私はお医者さんに詰め寄っていた。
 自分では意識していなかったが、物凄い剣幕だったのだろう祐一が私の肩を軽く掴んで、私をお医者さんから遠ざける。

「それで、秋子さん、叔母の様態はどうなんです?」

 祐一の声がとても堅い。
 それは何かを確信しているようなそんな響きでもあった。
 嫌な予感がした。

「全力は尽くしましたが……」

 嫌な汗が噴き出してくる。
 だって、お母さんだよ? お母さんは大丈夫なんだよ。

 だけど、お医者さんの言葉はそれをあざ笑うかのように。










「非常に危険な状態です」





















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